尊徳書状(酒匂川出水の見舞状)
詳細情報
- 資料ID
- 7370
- 更新日
- 2025/01/22
- 大分類
- 歴史
- 資料番号
- 1-2
- 時代・年代・製作年月日・推定年代
- 文政8年(1824)7月25日
- 形態
- 巻子
- 材質
- 紙
- 員数
- 1
- 寸法(cm・mm)
- 158×893
- 担当所管
- 生涯学習課
- 収蔵施設
- 尊徳記念館
- 解説
- 文政8年(1825)7月25日、栢山村二宮吉五郎宛の酒匂川出水見舞状。
その内容は、当時(桜町)でも今夏は雨天がちで、盆前の大水、盆後の大風雨とつづき、秋の不作(ふさく)が心配される、なお御村(栢山方面)では盆前の出水で、酒匂川沿いの金井島・古田島九十間(くじっけん)(以上開成町)、曽比(そび)・栢山・飯泉(いいずみ)・多古(たこ)(以上小田原市)の村むらの堤(つつみ)が切れて田畑が押し流されたと聞いて心配している、というのである。
酒匂川は荒れ川で、中世南北朝(なんぼくちょう)以来今日にいたる約600年間に、記録に残る水害だけでも54回、ほぼ10年に1回の割合である。したがって近世を通じて足柄地方の村むらは水害に苦しみ、農業生産力は低下し、これはまた小田原藩の財政難の一因をなしていた。
尊徳は桜町にあっても、つねに酒匂川出水の情報には強い関心をもっていた。