尊徳書状(善栄寺あて落雷についての見舞状)
詳細情報
- 資料ID
- 7379
- 更新日
- 2025/01/22
- 大分類
- 歴史
- 資料番号
- 1-11
- 時代・年代・製作年月日・推定年代
- 弘化2年(1845)7月1日
- 形態
- 巻子
- 材質
- 紙
- 員数
- 1
- 寸法(cm・mm)
- 156×457
- 担当所管
- 生涯学習課
- 収蔵施設
- 尊徳記念館
- 解説
- 弘化2年(1845)7月1日、江戸にあった尊徳から栢山村の善栄寺宛の書状(『復刻版 二宮尊徳全集』第7巻―464)。
善栄寺が、同年6月19日、落雷(らくらい)のため焼失したことに対する見舞状である。この追而書(おってがき)には、見舞品として、手製のかんぴょう・奥州相馬(おうしゅうそうま)産の椎茸(しいたけ)・お茶の三品を送ったと記されている。
なお、善栄寺の再興については、「弘化二年八月十五日 栢山村善栄寺本堂再建縄索(なわない)帳」(『復刻版 二宮尊徳全集』第16巻―634~643ページ)があり、これをみると、村民の縄索貯金によって復興するという、尊徳が農村復興にしばしば用いた方法をとり、建築費が不明であったので、貯金目標額を最低360両から最高1,000両にいたる種々の案を示している。
善栄寺は、この尊徳仕法のいずれかによって再興したものと思われる。