大久保忠真仰渡書写
詳細情報
- 資料ID
- 7389
- 更新日
- 2025/01/22
- 大分類
- 歴史
- 資料番号
- 1-21
- 時代・年代・製作年月日・推定年代
- 天保8年(1837)2月7日
- 形態
- 竪帳
- 材質
- 紙
- 員数
- 1
- 寸法(cm・mm)
- 239×174
- 担当所管
- 生涯学習課
- 収蔵施設
- 尊徳記念館
- 解説
- 天保8年(1837)2月7日、小田原藩主大久保忠真は、天保の大飢饉に苦しむ自領の領民らの緊急的な救済を尊徳に命じた。本資料は、その際の仰渡書の写であり、ほぼ同文のものが『復刻版 二宮尊徳全集』にも収録されている(第15巻―393~395ページ)。
内容は、忠真からの下げ渡し金1,000両に桜町仕法(しほう)で運用した資金を加えて、領内への貸付を存分に行うように、というものである。最後に、忠真は病気のために面会はできない、尊徳の「勝手次第」に小田原へ出発してよい、とつけ加えている。
江戸で待機していた尊徳は、これをうけて、2月11日に小田原へ向かった。その際、藩の米蔵を開いて、飢えた人びとに米を分配しようとした尊徳が、正式な指令書がなければ米蔵は開けられない、と主張する藩の役人らに対して、それでは、指令書が届くまでともに断食(だんじき)せよ、と大声で戒めたという有名な話が、『報徳記(ほうとくき)』に記されている。
なお、領民の救済を尊徳に命じた忠真は、それから1か月後の3月9日に亡くなった。