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(1)尊徳書状(弘化3年2月6日)・(2)二宮尊行書状(年未詳正月14日)

詳細情報

資料ID
7390
更新日
2025/01/29
大分類
歴史
資料番号
1-22
フリガナ
(1))
時代・年代・製作年月日・推定年代
(1)弘化3年(1846)2月6日(2)年未詳1月14日
形態
巻子
材質
員数
1
寸法(cm・mm)
156×1306
担当所管
生涯学習課
収蔵施設
尊徳記念館
解説
蓮正寺(れんしょうじ)村(小田原市)古沢九右衛門(尊徳の妻なみの伯父)に宛てた尊徳および長男尊行(弥太郎)の書状。 (1)の2月6日付尊徳書状は、弘化3年(1846)のもので、堀之内村(小田原市)の中島弥之右衛門家と飯泉村(同)の岡田忠蔵家の仕法案を送り届けたが、その後連絡がない、どうするか返事がほしい、と伝えたもの(『復刻版 二宮尊徳全集』第7巻―713~714ページ)。 なお、堀之内村中島家は、尊徳の前妻きのの実家で、一時零落(れいらく)し他所へ転居していた。その後、復興を尊徳に嘆願したが容易にゆるされず、弘化3年になってようやく仕法が講じられた。それは五段の案からなっている。(『復刻版 二宮尊徳全集』第16巻―1143~1144ページ)。また、飯泉村岡田家は、尊徳の後妻なみの実家で、なみの兄が亡くなり、親族から忠蔵を養子として迎えたが、多病と不幸が重なって困窮し負債がかさんだ。そこで尊徳に家政整理を依頼したわけである。天保6年(1835)には、なみの衣類を売却して10両の助成までしたがおよばず、結局、仕法案を作成して届けることとなった。同家は忠蔵の子弥兵衛の代にいたってようやく立ち直っている。 (2)の正月4日付尊行書状は、年頭の挨拶文である。年代は知られない。
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