相州足柄下郡曽我別所村民次郎家株再興仕法田畑子孫永々相続方議定書
詳細情報
- 資料ID
- 7401
- 更新日
- 2025/01/22
- 大分類
- 歴史
- 資料番号
- 2-5
- 時代・年代・製作年月日・推定年代
- 文化3年5月~嘉永2年4月
- 形態
- 竪帳
- 材質
- 紙
- 員数
- 1
- 寸法(cm・mm)
- 328×230
- 担当所管
- 生涯学習課
- 収蔵施設
- 尊徳記念館
- 解説
- 尊徳の母よしの生家(せいか)は、曽我別所村(小田原市)川久保太兵衛家といい、組頭(くみがしら)をつとめる有力者であったが、尊徳の青年時代に家運が傾き、文政2年(1819)には、ついに田畑屋敷を売り払うほどになってしまった。
この議定書は、祖父太兵衛の没後4年目の文化3年(1806)から、民次郎相続決定の嘉永2年(1849)までの一家再興仕法書(一部欠)で、懇切な教訓を織り込んだものである(『復刻版 二宮尊徳全集』第18巻―989~1,003ページ)。
尊徳は、桜町仕法中、川久保家相続人の伯父太兵衛へ助力を図ったが、その没後は、遺子市太郎・民次郎・常次郎三兄弟に、天保11年(1840)報徳金100両を貸し付けて質地(しつち)田畑を請け戻させ、その残金の利回しと三兄弟の出精によって復興を計らせた。その結果数年にして所有地は一町歩をこえ、再興の見込みがついたので、嘉永2年相続人を決定することとし、尊徳は三兄弟のうち分度(ぶんど)を守って余財を積み立てた民次郎を見込んで相続させることにしたのである。資料「仕法書類箱」も参照。