御趣法金取調帳(曽比村広吉)
詳細情報
- 資料ID
- 7405
- 更新日
- 2025/01/22
- 大分類
- 歴史
- 資料番号
- 2-9
- 時代・年代・製作年月日・推定年代
- 天保8年~嘉永2年
- 形態
- 竪帳
- 材質
- 紙
- 員数
- 1
- 寸法(cm・mm)
- 236×167
- 担当所管
- 生涯学習課
- 収蔵施設
- 尊徳記念館
- 解説
- 曽比村の名主格剱持広吉が、一家をあげて、天保8年(1837)から嘉永2年(1849)まで13年間、報徳仕法に取り組んだ記録である。広吉は6町3反余の土地をもち酒造も行う富農で、兄与右衛門とともに尊徳の教えに感服し、6,000余両の借財をもつ曽比村の復興仕法の推進役を果たした人物であった。
尊徳は、仕法を願ってくる者に、生活を倹約し、その余剰を人々にゆずる、すなわち分度と推譲(すいじょう)こそが村を救う道だと説いた。
この取調帳を見ると、広吉は教えにしたがって、村内外への貸付金248両のほかに、休日・夜間を利用した薪取り・縄ない、不用な衣類家具・小作米(こさくまい)・冥加(みょうが)米(仕法中の年貢軽減分を差し出したもの)などの売却や酒造株の譲渡によって得た余財762両を報徳加入金として推譲している。なお、このほかに各種の積立金を利回しして藩からの拝借金の返済に当てている。
こうして曽比村6,000余両の借財は、広吉をはじめとする村民多数の協力によって弘化3年(1846)末には完済されたのである。