報徳加入金請取手形(二宮金次郎)
詳細情報
- 資料ID
- 7411
- 更新日
- 2025/01/21
- 大分類
- 歴史
- 資料番号
- 2-15
- 時代・年代・製作年月日・推定年代
- 天保13年(1842)1月
- 形態
- 続紙
- 材質
- 紙
- 員数
- 1
- 寸法(cm・mm)
- 330×687
- 担当所管
- 生涯学習課
- 収蔵施設
- 尊徳記念館
- 解説
- 天保13年(1842)正月、竹松村(南足柄市)組頭河野幸内が、親類の下新田(しもしんでん)村(小田原市)名主早野小八のために33両余を報徳金として差し出したのに対し、尊徳がこれを奇特のこととして、小八家の復興仕法の組み立てを約束したうえ、請取手形を出したものである。
小八は、弘化元年(1844)6月27日付尊徳書状で見られるとおり、村高の4割を所有するほどの富農であったが、このころ負債がかさみ、没落寸前となって、尊徳に一家仕法を懇願した。これには、とくに小八の兄弟一族が尊徳の教戒にもとづいて助成し、義兄にあたる福浦村(湯河原町)五兵衛が52両余を、義弟の幸内が手形のとおり33両余を報徳加入金として差し出した。尊徳は、この兄弟一族の結束をよろこんで、小八家の仕法を組み立てていったのである。
なお、二宮金次郎名の下に押された印影は「真保」と読める。金次郎の名乗り(諱(いみな))は、文政年間(1818~29)の「政行」「治政」から、このころ「真保」となり、幕臣(ばくしん)登用(とうよう)後「尊徳」になったと認められる。