新悪水堀冥加入足着到帳(竹松村)
詳細情報
- 資料ID
- 7413
- 更新日
- 2025/01/21
- 大分類
- 歴史
- 資料番号
- 2-17
- 時代・年代・製作年月日・推定年代
- 嘉永元年(1848)3月
- 形態
- 横帳
- 材質
- 紙
- 員数
- 1
- 寸法(cm・mm)
- 125×355
- 担当所管
- 生涯学習課
- 収蔵施設
- 尊徳記念館
- 解説
- 尊徳の指導した土木工事の一つに悪水掘(あくすいぼり)がある。湿田(しつでん)を乾田(かんでん)化するための排水溝づくりであった。
この横帳は、嘉永元年(1848)、竹松村を中心とした悪水堀工事に冥加(お札)人足として奉仕した人名を記録したものである。この水路の全長は不明であるが、文中に「新堀長61間(111メートル)曽比村」とあるのは、竹松村につづく曽比村分の長さを示すのであろう。
工事は、3月11日から14日までの4日間行われた。参加村は、竹松・中沼・儘下(まました)・和田河原・千津島(せんづしま)・怒田(ぬだ)・斑目(まだらめ)・小市(こいち)・猿山・狩野(以上南足柄市)、吉田島・金井島・宮台・岡野・牛島・延沢(のぶさわ)・円通寺・中之名(なかのみょう)(以上開成町)、曽比・栢山(以上小田原市)、弥勒寺(みろくじ)(松田町)の21か村におよび、出動人員は竹松村の234名を最高に総計のべ1,068名となっている。
この悪水堀工事は、天保11年(1840)以降、足柄平野の各地で行われ、報徳堀と呼ばれたが、弘化3年(1846)に小田原仕法が廃止されたのちも報徳仕法にもとづく自主的実践活動が行われていたことは注目すべきことである。