facebook X instagram Line

報徳金并加入金御畳置取扱方下案(二宮金次郎)

詳細情報

資料ID
7416
更新日
2025/01/21
大分類
歴史
資料番号
2-20
時代・年代・製作年月日・推定年代
弘化3年(1846)7月
形態
竪帳
材質
員数
1
寸法(cm・mm)
241×170
担当所管
生涯学習課
収蔵施設
尊徳記念館
解説
小田原藩における報徳仕法の廃止(「畳置」)は、弘化3年(1846)7月、江戸詰役牟礼(むれ)三郎太夫と高月(たかつき)六左衛門から尊徳へ通告された。それと同時に、報徳仕法金を一括した5,000余両の返却の意向も伝えられた。 これに対して尊徳は、現に仕法をうけつつある村民の動揺をおさえ、将来の生計をいかにすべきかを指導する必要があると考え、小田原藩当局の配慮を要望して記したのがこの下案である(『復刻版 二宮尊徳全集』第19巻―1259~1266ページ)。 具体例として、一村仕法の行われている西大井村(大井町)・鬼柳村(小田原市)、一家仕法が継続中の下新田村(小田原市)小八・多田村(静岡県伊豆の国市)多田弥次右衛門に対しては、報徳金借用によって無借となったが、なおその年賦償還が残っており、いよいよはげむよう諭(さと)している。また藤曲(ふじまがり)村(静岡県小山町)へは、まだ充分立ち直っていないが、およそ5~6分にはなっているのだから、ますますはげむようにと諭す一方、無利息据えおきの仕法金300両をここで割賦(わっぷ)返済させることにはきわめて無理があることを藩当局に暗示している。 尊徳がとくに力説しているのは、報徳加入金の返還についてである。これは領民が報徳仕法の趣旨に感激して、村ごと家ごとに、あるいは竹木・衣類・諸道具を売り払い、あるいは余裕金を無利息で差し出して、仕法期間中預託したものであるから、打ち切りにするならば、せめて元金はそれぞれへ返還してやってほしい、というものである。
TOP