相馬興国救民尋問
詳細情報
- 資料ID
- 7418
- 更新日
- 2025/01/21
- 大分類
- 歴史
- 資料番号
- 2-22
- 時代・年代・製作年月日・推定年代
- 天保12年(1841)11月
- 形態
- 竪帳
- 材質
- 紙
- 員数
- 1
- 寸法(cm・mm)
- 238×175
- 担当所管
- 生涯学習課
- 収蔵施設
- 尊徳記念館
- 解説
- 陸奥(むつ)相馬中村(そうまなかむら)藩が、尊徳から報徳仕法をうけるにいたるまでの経緯を示す書類である(『復刻版 二宮尊徳全集』第31巻―2~7ページ)。
相馬中村藩は、天明・天保の凶作などによって衰乏をきわめたため、藩主以下その回復策に苦慮した。そのなかで、藩士富田高慶は、旗本(はたもと)宇津氏の領地で興復の実をあげていた尊徳のことを知り、天保10年(1839)6月、桜町にいたって入門を懇願、9月ようやく許され、相馬復興のため報徳仕法を学ぶことになった。
この報をうけた家老草野半右衛門は、11月8日、尊徳へ書を送って富田入門の謝辞を述べ、翌11年11月21日にはみずからの藩の窮状を詳細に述べて指導を懇請した(草野太夫興国頼文)。さらに12年11月にいたって、藩奉行一条七右衛門を桜町に派遣した。尊徳は、その面会を拒絶したが、一条は家老池田図書その他藩士の真剣な質問書(池田太夫興国尋問ほか)を携えて教えを請い、滞留10日あまり、容易に桜町を去らなかったという。
こうした藩をあげての懇請によって、尊徳はついに弘化2年(1845)、相馬中村藩に仕法を開始したのである。