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木造 尊徳坐像(斎藤誠一作)

詳細情報

資料ID
7464
更新日
2025/01/20
大分類
歴史
資料番号
4-23
材質
員数
1
寸法(cm・mm)
高116
担当所管
生涯学習課
収蔵施設
尊徳記念館
解説
羽織・袴(はかま)を着して、小刀を差した坐像。太刀と刀掛けとが別にある。像底(ぞうてい)や箱には、昭和14年(1939)秋に、斎藤誠一が荒川泰助作の尊徳像を模刻(もこく)し、翌15年1月15日に露木清司が剣持寅吉へ贈ったことが記されている。寅吉は、尊徳の指導をうけながら曽比村の報徳仕法を主導した剱持広吉の曾孫(そうそん)に当たる。 本像のもととなった尊徳像は、広吉が、旗本(はたもと)川副(かわぞえ)氏の家臣で彫刻の名手であった荒川に依頼してつくった木像で、下野東郷(ひがしごう)陣屋(栃木県真岡市)にいた65、6歳ごろの尊徳のすがたをうつしたものである。これは、すぐに二体模刻され、広吉によって尊徳の遺族と陸奥(むつ)相馬中村藩主家とに寄贈された。 露木清司とその弟の寛とは、牛島村(開成町)の露木弁吉の曾孫にあたる。かつて、露木家は、広吉によって窮乏を救われたことがあり、露木兄弟は何とかしてその恩にむくいたいと考えていた。おりもおり、剱持家に伝わる荒川作の尊徳像が焼失したことを聞いた兄弟は、二宮家に寄贈されたもう一体の像をもとに、同型のものを二体模刻し、そのうちの一体を剱持家に寄贈したのである。 なお、露木清司が斎藤に模刻させたもう一体の像は、報徳二宮神社に奉納された。現在、報徳博物館で収蔵する同像銘と箱書により、模刻は、昭和14年初冬、奉納は同15年5月5日であったことが判明する。
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