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絹本着色 尊徳稲田検分の図(今井爽邦)

詳細情報

資料ID
7466
更新日
2025/01/20
大分類
歴史
資料番号
4-25
形態
軸装
材質
員数
1
寸法(cm・mm)
1623×838
担当所管
生涯学習課
収蔵施設
尊徳記念館
解説
尊徳は、仕法を指導する際には、どこでもかならずその土地をくまなくまわり、自分の目で見、肌で感じてその状況をしっかりと把握して計画を立てた。そして現地での指導に当たった。村むらを巡回するので、これをいっぱんに「回村(かいそん)」といったが、この図はそんなすがたをイメージして描かれたものである。 尊徳の門人(もんじん)岡田良一郎は、のちに「先生身長六尺有余、体重二四、五貫を下らざるべし」と書いている。尊徳はそんな大きな身体の人だったようだが、この図は、そんな巨躯をほうふつとさせる。 また、伝えるところによると、尊徳は容貌魁偉(ようぼうかいい)、眼光(がんこう)はするどかったといわれているが、この図の顔は大変柔和(にゅうわ)な好好爺(こうこうや)というにふさわしい表情である。 描き方は、股引(ももひき)の小紋や羽織のひもの編み目から、実った稲穂の一粒まで細部に意を用いている。ただ羽織には二宮家の横木瓜の家紋がついているが、回村などに紋付(もんつき)の羽織を着用したかどうか疑問である。なお、この図は、縮小の石刷り複製の掛軸(かけじく)が昭和前期にはつくられていたようである。 作者の今井爽邦は、名を和一郎、号を六合庵ともいう。明治5年(1872)、越後(えちご)(新潟県)の南画家(なんがか)翠湖の子として生まれ、長じて東京に出、明治画壇の泰斗(たいと)狩野派(かのうは)の橋本雅邦の門に入り、人物画を得意とした。また、下条桂谷にも学んだ。
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