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北条氏政書状

詳細情報

資料ID
7500
更新日
2024/06/04
大分類
歴史
分類
村田文書
時代・年代・製作年月日・推定年代
(天正10年)6月13日
形態
縦切
担当所管
図書館
収蔵施設
中央図書館
解説
天正10年(1582)6月2日、本能寺で織田信長が明智光秀に討たれたとの急報に接した北条氏4代の氏政が、そのわずか11日後の同13日、江戸に在城していた一族の氏秀に送った書状で、織田分国の上野(群馬県)・甲斐(山梨県)への侵攻を開始したことなどを伝えています。  天正7年頃から、氏政は上野の領有をめぐり、それまで同盟していた甲斐の武田勝頼と対立し、一進一退の攻防を繰り広げていました。そこで翌年3月、やはり勝頼と敵対していた信長に使者を送って服属を表明し、戦局打開を図ります。氏政の申し出を喜んだ信長は、天正10年3月には圧倒的な軍事力で名門武田家を滅ぼしました。ところが直後の論功行賞では、氏政の意向をよそに上野を配下の瀧川一益に与えたことから、両者の関係は急速に冷却化します。それゆえ氏政は、信長急死を機に織田家に反旗を翻すこととなりました。機敏でしたたかな戦国大名らしい氏政の一面がうかがえます。
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