| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 時代区分 | 古代・中世(1493~1589) |
| 西暦 | 1569 |
| 年号 | 永禄12年 (1569)己巳閏⑤ |
| 君主 | 北条氏政 |
| 小田原北条時代の 政治・経済・社会 |
1.12 氏政,箱根に在陣する[Ⅱ-766] 1.26~4.24 氏政,駿河薩埵山(静岡県由比町)で武田信玄と対陣する[Ⅱ-774・811・817] 2.6 氏康,石切衆10人を足柄峠勤番に召し出す[Ⅱ-777] 3.14 氏康,駄物を運搬させるため,田名百姓を3月20日に小田原へ召集する[Ⅱ-799] 3.23 氏康,須藤盛永に命じ,石切1人を足柄峠より召し寄せる[Ⅱ-810] 3.26 氏政,細川藤孝に,将軍足利義昭の御内書に書状を添えて奥口に送る旨を伝える[Ⅱ-813・814・805] 4.29 氏康,石切10人のため,小田原から足柄まで公方伝馬を出させる[Ⅱ-828] 5.18 氏政,幻庵に,今川氏真らの駿河蒲原(静岡県蒲原町)着城を報じる[Ⅱ-835] 5.24 氏政,徳川家康との親交を望み,酒井忠次に執り成しを求める[Ⅱ-840] ⑤.3頃 氏真,国王丸(氏直)を養子とし,駿河国を譲与する[Ⅱ-843~845,Ⅰ-461] 6.9 氏康・氏政,上杉謙信と同盟し,氏政の子国増丸(太田源五郎)をその養子とすることを約す[Ⅱ-861・862]≪越相一和の成立≫ 6.17 黄梅院(氏政妻)没する[Ⅰ-462] 7.2 氏康,伊豆桑原郷(静岡県函南町)の小代官百姓中に,箱根竹を調進させる[Ⅱ-873] 7.18 山科言継の養母唯神院(中御門宣胤娘),早川で没する[Ⅰ-676] 7.20 氏政,新宿鋳物師山田二郎左衛門に,分国中での商売の自由を認める[Ⅱ-878] 〃 氏政,鋳物用の土を届けさせるため,大磯から小田原までの宿中に伝馬5疋を出させる[戦-4902] 8.9 氏政,徳延(平塚市)百姓中に大普請人足3人を課し,8月14日に小田原柳小路へ召集する[Ⅱ-884] 8.20・28 氏康,田名百姓中等に,穀段銭を10月29日までに,玉縄城米銭を9月15日までに小田原で納入させる[Ⅱ-887・892] 9.28 信玄,酒匂に着陣する[甲斐国志] 10.1 信玄,小田原城蓮池に攻め込み城下に放火する,翌日,再び小田原城を攻める[通p531~533,甲斐国志]≪武田信玄の小田原襲来≫ 10.4 信玄,小田原から撤兵する,翌日,大神(平塚市)まで退陣[Ⅱ-902,甲斐国志] 10.6 氏照ら,三増峠(愛川町・津久井町)で武田軍と戦う[Ⅰ-500・501,Ⅱ-903]≪三増合戦≫ 10.26 氏政,武蔵戸部郷(横浜市)に,年貢残分を11月3日に小田原で報告させる[Ⅱ-906] 11.23 氏政,分国中境目仕置のため,磯辺・田名に人足を課し,柳小路へ召集する[Ⅱ-913・914] 11.29 氏政,謙信に櫁柑等を贈る[Ⅱ-920] 12.6 氏信・長順(融深)兄弟,武田軍と戦い駿河蒲原で討死する[Ⅰ-385] 12.27 氏政,相模・伊豆・武蔵の城を守備させるため,郷中人改めを行う[Ⅱ-931・932] この年 氏政,斑目郷(南足柄市)百姓の風損詫言につき,年貢を減免する[Ⅱ-933] |
| 文化・宗教 | 3.18 西光院義山と蓮上院慶山,以後の親交を互いに約する[Ⅰ-631・632] 4.1 玉瀧坊乗与,細川藤孝に,将軍足利義昭の御内書の旨を承け尽力することを伝える[戦-1197] 4.23 氏政,玉瀧坊を伊達政宗に遣し,武田氏との緊張,上杉との和睦の動き等を報じる[Ⅱ-816] 5.20 氏照,玉瀧坊を政宗に遣し,武田信玄の駿河侵入等を伝える[Ⅰ-575] 6.2 上杉謙信,天用院に,上杉氏使僧広泰寺昌派の指南等を依頼する[神-7805] この年以前 氏康,氏信を通じ幻庵に自作の和歌を送り,合点を請う[補-37] |
| 国内・国際 | 3.1 織田信長,撰銭令を発布する 4.6 武田信玄,佐竹義重に小田原攻めの意志を伝える 5.15 今川氏真,徳川家康に降伏し,遠江掛川城を退去,ついで駿河沼津に移る(今川氏滅亡) 6.16 信玄,駿河古沢へ進攻する 10.3 信長,伊勢を制圧する |
時代区分
古代・中世(1493~1589)
西暦
1569
年号
永禄12年
(1569)己巳閏⑤
君主
北条氏政
小田原北条時代の政治・経済・社会
1.12 氏政,箱根に在陣する[Ⅱ-766]
1.26~4.24 氏政,駿河薩埵山(静岡県由比町)で武田信玄と対陣する[Ⅱ-774・811・817]
2.6 氏康,石切衆10人を足柄峠勤番に召し出す[Ⅱ-777]
3.14 氏康,駄物を運搬させるため,田名百姓を3月20日に小田原へ召集する[Ⅱ-799]
3.23 氏康,須藤盛永に命じ,石切1人を足柄峠より召し寄せる[Ⅱ-810]
3.26 氏政,細川藤孝に,将軍足利義昭の御内書に書状を添えて奥口に送る旨を伝える[Ⅱ-813・814・805]
4.29 氏康,石切10人のため,小田原から足柄まで公方伝馬を出させる[Ⅱ-828]
5.18 氏政,幻庵に,今川氏真らの駿河蒲原(静岡県蒲原町)着城を報じる[Ⅱ-835]
5.24 氏政,徳川家康との親交を望み,酒井忠次に執り成しを求める[Ⅱ-840]
⑤.3頃 氏真,国王丸(氏直)を養子とし,駿河国を譲与する[Ⅱ-843~845,Ⅰ-461]
6.9 氏康・氏政,上杉謙信と同盟し,氏政の子国増丸(太田源五郎)をその養子とすることを約す[Ⅱ-861・862]≪越相一和の成立≫
6.17 黄梅院(氏政妻)没する[Ⅰ-462]
7.2 氏康,伊豆桑原郷(静岡県函南町)の小代官百姓中に,箱根竹を調進させる[Ⅱ-873]
7.18 山科言継の養母唯神院(中御門宣胤娘),早川で没する[Ⅰ-676]
7.20 氏政,新宿鋳物師山田二郎左衛門に,分国中での商売の自由を認める[Ⅱ-878]
〃 氏政,鋳物用の土を届けさせるため,大磯から小田原までの宿中に伝馬5疋を出させる[戦-4902]
8.9 氏政,徳延(平塚市)百姓中に大普請人足3人を課し,8月14日に小田原柳小路へ召集する[Ⅱ-884]
8.20・28 氏康,田名百姓中等に,穀段銭を10月29日までに,玉縄城米銭を9月15日までに小田原で納入させる[Ⅱ-887・892]
9.28 信玄,酒匂に着陣する[甲斐国志]
10.1 信玄,小田原城蓮池に攻め込み城下に放火する,翌日,再び小田原城を攻める[通p531~533,甲斐国志]≪武田信玄の小田原襲来≫
10.4 信玄,小田原から撤兵する,翌日,大神(平塚市)まで退陣[Ⅱ-902,甲斐国志]
10.6 氏照ら,三増峠(愛川町・津久井町)で武田軍と戦う[Ⅰ-500・501,Ⅱ-903]≪三増合戦≫
10.26 氏政,武蔵戸部郷(横浜市)に,年貢残分を11月3日に小田原で報告させる[Ⅱ-906]
11.23 氏政,分国中境目仕置のため,磯辺・田名に人足を課し,柳小路へ召集する[Ⅱ-913・914]
11.29 氏政,謙信に櫁柑等を贈る[Ⅱ-920]
12.6 氏信・長順(融深)兄弟,武田軍と戦い駿河蒲原で討死する[Ⅰ-385]
12.27 氏政,相模・伊豆・武蔵の城を守備させるため,郷中人改めを行う[Ⅱ-931・932]
この年 氏政,斑目郷(南足柄市)百姓の風損詫言につき,年貢を減免する[Ⅱ-933]
文化・宗教
3.18 西光院義山と蓮上院慶山,以後の親交を互いに約する[Ⅰ-631・632]
4.1 玉瀧坊乗与,細川藤孝に,将軍足利義昭の御内書の旨を承け尽力することを伝える[戦-1197]
4.23 氏政,玉瀧坊を伊達政宗に遣し,武田氏との緊張,上杉との和睦の動き等を報じる[Ⅱ-816]
5.20 氏照,玉瀧坊を政宗に遣し,武田信玄の駿河侵入等を伝える[Ⅰ-575]
6.2 上杉謙信,天用院に,上杉氏使僧広泰寺昌派の指南等を依頼する[神-7805]
この年以前 氏康,氏信を通じ幻庵に自作の和歌を送り,合点を請う[補-37]
国内・国際
3.1 織田信長,撰銭令を発布する
4.6 武田信玄,佐竹義重に小田原攻めの意志を伝える
5.15 今川氏真,徳川家康に降伏し,遠江掛川城を退去,ついで駿河沼津に移る(今川氏滅亡)
6.16 信玄,駿河古沢へ進攻する
10.3 信長,伊勢を制圧する