| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 時代区分 | 古代・中世(1493~1589) |
| 西暦 | 1590 |
| 年号 | 天正18年 (1590)庚寅 |
| 君主 | 北条氏直 |
| 小田原北条時代の 政治・経済・社会 |
1.4 氏規,海老名五郎右衛門を,妻子郎等以下を召し連れ小田原へ移らせる[Ⅰ-752] 1.5 氏直,武蔵鴨居(横浜市)小代官百姓中に大普請人足を課し,1月13日に小田原へ召集する[Ⅲ-2003] 〃 氏規,岡本善左衛門尉を,郎等以下を召し連れ小田原・三崎へ移らせる[Ⅰ-753] 1.6 氏直,阿久沢能登守を1月15日に小田原へ参陣させる[Ⅲ-2004] 1.12 氏政,清水上野入道に,伊豆下田を守備する兵が1月16日に小田原を出陣すると伝える[Ⅲ-2007] 1.14 氏直,金子安藤分代官百姓中に禁制を下す[Ⅲ-2009] 1.16頃 分国内の諸軍勢が小田原に着陣し,防備を固める[Ⅲ-2011] 1.17 氏直,伊達政宗の出陣を聞き,腹巻等を贈る[Ⅲ-2012] 〃 氏忠,高瀬紀伊守を小田原に参陣させる[Ⅰ-755] 〃 清水康英,同淡路守に,北条氏の命に従い妻子を小田原へ送るよう諭す[Ⅰ-757] 1.21 氏直,建長寺内の兵痕を,1月25日までに小田原か玉縄へ移させる[Ⅲ-2014] 1.26 氏直,山角定勝に,大井郷内の畠地を竹林にすることを認める[Ⅲ-2017] 1.━ 吉良氏広家臣江戸摂津守,加勢のため下田へ向かう[Ⅰ-756] 2.12 氏直,小田原より下田までの船持中に,清水衆八木下氏を下田まで送らせる[Ⅲ-2025] 2.20 上田憲定,木呂子丹波守に,自身の小田原籠城につき武蔵松山城の留守を任せる[Ⅰ-763] 2.24 氏直,小幡信定に在所の備えの様子等を問う[Ⅲ-2031] 2.25 氏直,千津島の代官等に普請人足を課し,2月28日に小田原へ召集する[Ⅲ-2033] 2.28 氏政,氏規に水軍の配置等を指示する[Ⅲ-2034] 3.1 豊臣秀吉,京都を出陣する[Ⅰ-768~770]≪豊臣秀吉の京都出陣≫ 3.6以前 豊臣水軍が伊豆沿岸に放火し,重須城(静岡県沼津市)が落城する[Ⅰ-774] 3.7 氏直,逗子(逗子市)に,町人・諸商人・諸細工人に至るまでの忠節を促す[Ⅲ-2040] 〃 宇津木泰朝,伊豆山中城加勢のため,小田原を出陣する[Ⅲ-2036・2037] 3.9 氏政,猪俣邦憲に,韮山・山中・足柄城等の備え堅固な様子を伝える[Ⅲ-2041] 3.11 氏直,信定に,軍勢の改め・普請等を指示し備えを固めさせる[Ⅲ-2043・2044] 3.12 氏直,岡本八郎左衛門尉に,小田原城内の守備担当場所に配置する兵員等を定める[Ⅲ-2127] 3.18 氏直,屛風山(箱根町)を視察する[Ⅰ-780] 3.20 氏直,氏光に足柄城の守備を固めさせる[Ⅲ-2049] 3.25 氏直,千津島の百姓に,大樽運搬のため人足を出させる[Ⅲ-2051] 3.26 政宗,中島宗求に,秀吉の後詰として4月6日に出陣する旨を伝える[Ⅰ-783] 3.27 秀吉,駿河沼津に着く,翌日山中方面を巡視する[家忠日記] 3.28 秀吉,徳川家康の軍勢を小田原に差し向けること等を定める[Ⅰ-784] 3.29 豊臣秀次ら,山中城を攻略する,松田康長ら討死する[Ⅰ-785,Ⅲ-2061]≪山中落城≫ 4.1 鷹巣城(箱根町)開城する[Ⅰ-789] 〃 秀吉,箱根峠に陣を置く[Ⅰ-786・791](一説に4月2日[Ⅰ-789]) 4.1 家康,箱根山付近に陣取る[Ⅰ-787] 〃 底倉村の安藤隼人ら,秀吉禁制を獲得する[相州文書] 4.2 足柄城・根府川城開城する,同じ頃,久野要害開城する[Ⅰ-789・791]≪足柄開城≫ 〃 秀吉の先手の軍勢が,小田原付近に陣取る[Ⅰ-788] 4.3 氏房,某に,久野戸張の防備を任せる[Ⅰ-790] 〃 家康,小田原へ入り,翌日小田原城近くに陣取る[Ⅰ-787] 4.5 秀吉,早雲寺を本陣とする[Ⅰ-796・807] 4.5頃 家康,山崎に陣取る,浅野幸長,早川口に陣取る[Ⅰ-793] 4.6 榊原康政,小田原城中に入ろうとした敵を討ち取る[Ⅰ-797] 4.7以前 豊臣方の水軍が,小田原を海上封鎖する[Ⅰ-798・789] 4.8 皆川広照,投降する[Ⅰ-800・805](一説に4月9日[Ⅰ-813]) 4.8頃 豊臣軍,韮山城攻略のため付城等を築造し,この日完成する[Ⅰ-798・799] 4.10 家康,小田原城の城際まで押し詰める[Ⅰ-801] 4.12 氏直,信定に敵兵との舌戦を禁じる[Ⅲ-2056] 4.13 氏直,伊丹氏らに尺木際を固めさせる[Ⅲ-2057] 〃 秀吉,北政所に,小田原在陣が長陣となること等を伝える[Ⅰ-806] 4.14 氏直,信定らに敵の小田原城攻撃が間近いことを伝え,普請に努めさせる[Ⅲ-2058,戦-3707・3708] 4.15 秀吉,家康の陣所を見舞う[Ⅰ-809] 4.16 氏直,小山田将監の忠節を賞し,上野西之庄内の地を充行うことを約す[Ⅲ-2060] 4.20 玉縄城主氏勝,投降する[阿岐留神社文書]≪玉縄開城≫ 〃 上野松井田城主大道寺政繁,投降する[Ⅰ-815]≪松井田開城≫ 4.中旬以前 豊臣軍の小田原城包囲陣が完成する[Ⅰ-802] 4.22 氏直,三堀喜右衛門に禁制を下し,不法者を注進させる[Ⅲ-2063] 〃 前田利家,小田原へ赴き,秀吉に上野の状況を報告する[Ⅰ-838] 4.23頃 下田城開城する[Ⅰ-820]≪下田開城≫ 4.25 氏直,池田弥九郎に,討死した兄孫五郎の名跡を継がせる[Ⅲ-2064] 4.27 秀吉,上杉景勝に地下人・百姓の還住を命じ,人身売買を禁じる[Ⅰ-825] 〃 浅野長政ら,武蔵江戸城を接収する[Ⅰ-826]≪江戸開城≫ 4.28 芝山宗勝,芝弥八郎に,石垣山一夜城が翌月中には完成すると伝える[Ⅰ-827] 4.下旬以降 豊臣方により,北条方の持城・兵力の覚書が作成される(兵力34,350騎)[Ⅰ-821] 4.━ 秀吉,高田郷24か村・大友村・曽我等7か村・国府津等に禁制を下す[Ⅰ-830,松島文書,相州文書] 〃 秀吉,飯田郷・栢山郷・酒匂郷等に掟書を下す[Ⅰ-833,小沢文書,酒井文書] 5.1 秀吉,大政所に,小田原城攻撃に長期間を要すること等を伝える[Ⅰ-834] 5.2 勅使勧修寺晴豊ら,秀吉の陣中見舞いのため出京する(6月3日帰京)[Ⅰ-824・856,晴豊公記] 5.3 氏房の家臣広沢重信,織田信雄・蒲生氏郷の陣所を夜襲し敗れるという[関八州古戦録] 5.7 秀吉,淀殿を小田原に下向させるため,稲田清蔵を遣す[Ⅰ-840] 5.14 片桐直倫,底倉郷に定書を下す[神-9776] 5.14頃 石垣山一夜城の石垣や台所が完成する[Ⅰ-843] 5.16 某小太郎,多聞院英俊に,小田原城内には6万人が籠城していると語る[Ⅰ-846] 5.20 武蔵岩付城開城する[Ⅰ-852・859]≪岩付開城≫ 5.22 秀吉,稲葉重通に兵粮米を小田原へ廻送させる[Ⅰ-850] 5.27 堀秀政(38),小田原陣中で没する[Ⅰ-853,藩翰譜] 〃 佐竹義宣・宇都宮国綱,秀吉に出仕する[神-9788] 6.1 氏直,信定に改めて陣中掟を下す[Ⅲ-2069] 6.5 和田信業の家臣ら,小田原城を出る[Ⅰ-857] 〃 政宗,小田原へ参陣する(6月9日秀吉に出仕)[Ⅰ-861] 6.6~7 岡田利世,小田原城に入り氏直と対面する[Ⅰ-860] 6.6 戸沢盛安(25),小田原陣中で没する[寛永諸家系図伝] 6.7 家康,氏規に,韮山を開城し,秀吉に氏政父子の赦免を請うよう勧める[Ⅰ-858] 6.8 利世,小田原籠城の信定に投降を勧める[Ⅰ-860] 6.12 氏直,信定に守備を固めさせる[Ⅲ-2073] 6.14 秀次配下の田中吉政の兵,小田原城の兵と戦う[田中文書] 〃 氏邦降伏し,武蔵鉢形城開城する[通p919]≪鉢形開城≫ 6.16 松田憲秀・政尭父子,豊臣方への内通を企て失敗する[Ⅰ-864・865,Ⅲ-2074] 6.20 氏直,木呂子下野守・岩田河内守の参陣を賞する[Ⅲ-2075,神-9806] 〃 小田原籠城の成田氏長,山中長俊の勧めにより投降をはかる[Ⅰ-867・868] 6.22 氏康の妻瑞渓院(今川氏親娘)・氏政の後妻鳳翔院,没する[伝心庵過去帳] 〃 井伊直政,小田原城の福門寺曲輪を攻略する[Ⅰ-870,北条五代記] 6.23 武蔵八王子城落城する[Ⅰ-872・873]≪八王子落城≫ 6.24 小田原城中に,豊臣方の和平の使者黒田如水らが遣わされるという[Ⅰ-875] 〃 氏規降伏し,韮山城開城する[通p921]≪韮山開城≫ 6.25以前 津久井城(津久井町)開城する[神-9808] 6.26 秀吉,石垣山一夜城へ陣所を移す[Ⅰ-876]≪秀吉の石垣山一夜城入城≫ 6.29 秀吉,景勝に酒匂への陣取りを命じる[Ⅰ-877] 7.1 氏直,秀吉への投降を決意する[Ⅲ-2076] 7.1頃 秀吉,氏直の投降を仲介しようとした斯波義近を処罰する[Ⅰ-881・883] 7.5 氏直,滝川雄利陣所へ走り入り投降する[Ⅰ-884]≪氏直の降伏≫ 〃 秀吉,氏直に,本人の助命と,氏政・氏照ら4人の切腹を命じる[Ⅰ-885・892] 7.6 秀吉,小田原城を接収する(使者脇坂安治・片桐且元・榊原康政)[Ⅰ-891・893~895]≪小田原開城≫ 7.7 籠城した北条方の武士が小田原城を出,家康の陣所に置かれる[Ⅰ-893・894] 7.7~8 地下人が小田原城を出る[Ⅰ-893] 7.9 氏政ら,田村長伝の家に入るという[Ⅰ-897] 7.10 氏政,小田原城を出,家康の陣所に置かれる[Ⅰ-900] 〃 家康,小田原城に入城する[Ⅰ-893] 7.11 氏政・氏照切腹し,7月16日首を聚楽の橋(京都市)に晒される[Ⅰ-902・893・904]≪氏政の切腹≫ 7.11頃 穴太衆35人,帰郷の途につく[小早川家文書] 7.12 氏直,高野山追放処分となる[Ⅰ-893] 7.13 秀吉,小田原城に入城する[Ⅰ-893] 7.14 武蔵忍城(埼玉県行田市)開城する[簗田家文書・滝川文書] 7.15頃 淀殿,帰京のため小田原を出発する[Ⅰ-898・903] 7.16 秀吉,会津に向け小田原を出発する[Ⅰ-893] 7.17・19 氏直,桜井肥前守・御宿左衛門の籠城を賞する[Ⅲ-2077・2079] 7.21 氏直,小田原を出発し,8月12日高野山に入山する[Ⅰ-893・914]≪氏直の高野山追放≫ 7.以降 小田原商人冨山栄弘,小田原開城により武蔵豊島郡に移住する[Ⅰ-585] |
| 文化・宗教 | 1.26 松田直秀,長泉院に殺生禁止等を定める[神-9583] 2.10 氏直,宝安寺に法度を下す[Ⅲ-2022] 2.30 氏直,伝肇寺に松田氏取り次ぎの人質を預ける[Ⅲ-2035] 3.20 直秀,長泉院に中沼郷(南足柄市)の5貫文の地を寄進する[神-9639] 3.21 松田康長,箱根別当亮山に,徳川家康の動向等について伝える[Ⅰ-782] 3.━ 山上宗二,皆川広照に茶湯書(山上宗二記)を与える[Ⅰ-590] 4.11 宗二(47),豊臣秀吉に殺されるという[長闇堂記] 4.15 高城胤則,下総六所神社(千葉県市川市)に,小田原籠城につき立願のため,野駒1疋の奉納を約する[Ⅰ-808] 〃 明叟宗普(75),遺偈を書き没する[Ⅰ-663] 4.16 氏直,本誓寺に禁制を下す[Ⅲ-2059] 4.20 氏直,玉伝寺に禁制を下す[Ⅲ-2062] 4.22 千利休,石清水八幡宮瀧本坊実乗に小田原の状況を伝える[Ⅰ-816] 4.26 氏直,伝肇寺に禁制を下す[Ⅲ-2065] 4.━ 秀吉,善栄寺・飯泉山坊中に禁制を下す[Ⅰ-831・832] 〃 秀吉,箱根寺家門前に掟書を下す[神-9703] 5.9 増田長盛,長泉院に僧衆等の還住を命じる[Ⅰ-841] 5.14 本願寺教如,小田原へ下向し,秀吉を見舞う,翌日秀吉の茶会に招かれる[神-9781] 5.29 秀吉,小田原陣中で茶会を催す[Ⅰ-854] 5.━ 秀吉,真楽寺に禁制を下す[Ⅰ-855] 6.10 氏直,妙光院に禁制を下す[Ⅲ-2072] 6.18 秀吉,本阿弥光悦・後藤徳乗らを小田原から京都へ帰らせる[Ⅰ-866] 6.19 利休,「山の家」(早川の畑の平カ)に移り住む[Ⅰ-869]≪千利休の「山の家」居住≫ 6.20 利休,古田織部に,石垣山一夜城が当月中に完成する旨等を伝える[Ⅰ-869] 6.22 細川藤孝,小田原陣中で昨夢斎紹旨と連歌会を行う[Ⅰ-879] 6.29 藤孝,小田原陣中で和歌を詠む[Ⅰ-879] 6.━ 石尾治一,伊豆韮山城攻めに従い,氏康旧蔵の太平記を得るという[参考太平記凡例] 7.8 日新,宇野光治の小田原籠城の労をねぎらう[Ⅰ-896] 7.15 藤孝,足柄山を越えて帰途につく[Ⅰ-879] 7.15頃 碁打庄林入道ら,帰京の途につく[小早川家文書] 7.16頃 幸若,帰京の途につく[小早川家文書] 7.21 豊臣秀次,総世寺に梵鐘を寄進する[銘-55] 7.━ 氏直,黒田如水に,和睦調停の礼として吾妻鏡等を贈る[Ⅰ-886] 〃 秀吉,戦勝品として北条氏所持の遠浦帰帆の絵を得る[Ⅰ-887] 7.頃 秀吉,建長寺天源庵の三祖像を得る[大徳寺文書] この年以前 氏直,能の師匠として宝生四郎左ヱ門を小田原に招く[観世家譜] |
| 国内・国際 | 1.14 旭姫(48)没する 2.2 前田利家,伊達政宗に下野への出陣を勧める 2.10 徳川家康,駿府を出陣する 2.17 豊臣秀吉,浅野長政・長束正家に,小田原陣所につき申し付ける 2.25 秀吉,加藤嘉明に,日和次第に紀伊九鬼島から東国へ向け出航させる 〃 脇坂安治,遠江今切に着岸する 2.━ 家康,鳥居元忠に小田原陣の軍法を下す 3.4 秀吉,安治に,海上からの伊豆見廻りに越度のないよう戒める 3.8 秀吉,駿河黄瀬川に着陣する 3.17 秀吉の命により刀を製造するため,奈良の銀師・鞘師が上洛する 3.19 秀吉,駿府に入る 3.19頃 朝廷,延暦寺に秀吉の戦勝祈念を命じる 4.4 秀吉,九鬼島の兵粮奉行に兵粮米を廻送させる 4.20 長政,政宗に,小田原参陣を促す 4.23頃 秀吉,家康に伊豆国を与える 5.2 利家家臣河島重続,政宗の小田原参陣を促す 5.16 石田三成,岩城常隆に,小田原参陣を促す 6.22 西園寺公朝(76)没する 7.23以前 家康,秀吉より関東の支配を任される |
時代区分
古代・中世(1493~1589)
西暦
1590
年号
天正18年
(1590)庚寅
君主
北条氏直
小田原北条時代の政治・経済・社会
1.4 氏規,海老名五郎右衛門を,妻子郎等以下を召し連れ小田原へ移らせる[Ⅰ-752]
1.5 氏直,武蔵鴨居(横浜市)小代官百姓中に大普請人足を課し,1月13日に小田原へ召集する[Ⅲ-2003]
〃 氏規,岡本善左衛門尉を,郎等以下を召し連れ小田原・三崎へ移らせる[Ⅰ-753]
1.6 氏直,阿久沢能登守を1月15日に小田原へ参陣させる[Ⅲ-2004]
1.12 氏政,清水上野入道に,伊豆下田を守備する兵が1月16日に小田原を出陣すると伝える[Ⅲ-2007]
1.14 氏直,金子安藤分代官百姓中に禁制を下す[Ⅲ-2009]
1.16頃 分国内の諸軍勢が小田原に着陣し,防備を固める[Ⅲ-2011]
1.17 氏直,伊達政宗の出陣を聞き,腹巻等を贈る[Ⅲ-2012]
〃 氏忠,高瀬紀伊守を小田原に参陣させる[Ⅰ-755]
〃 清水康英,同淡路守に,北条氏の命に従い妻子を小田原へ送るよう諭す[Ⅰ-757]
1.21 氏直,建長寺内の兵痕を,1月25日までに小田原か玉縄へ移させる[Ⅲ-2014]
1.26 氏直,山角定勝に,大井郷内の畠地を竹林にすることを認める[Ⅲ-2017]
1.━ 吉良氏広家臣江戸摂津守,加勢のため下田へ向かう[Ⅰ-756]
2.12 氏直,小田原より下田までの船持中に,清水衆八木下氏を下田まで送らせる[Ⅲ-2025]
2.20 上田憲定,木呂子丹波守に,自身の小田原籠城につき武蔵松山城の留守を任せる[Ⅰ-763]
2.24 氏直,小幡信定に在所の備えの様子等を問う[Ⅲ-2031]
2.25 氏直,千津島の代官等に普請人足を課し,2月28日に小田原へ召集する[Ⅲ-2033]
2.28 氏政,氏規に水軍の配置等を指示する[Ⅲ-2034]
3.1 豊臣秀吉,京都を出陣する[Ⅰ-768~770]≪豊臣秀吉の京都出陣≫
3.6以前 豊臣水軍が伊豆沿岸に放火し,重須城(静岡県沼津市)が落城する[Ⅰ-774]
3.7 氏直,逗子(逗子市)に,町人・諸商人・諸細工人に至るまでの忠節を促す[Ⅲ-2040]
〃 宇津木泰朝,伊豆山中城加勢のため,小田原を出陣する[Ⅲ-2036・2037]
3.9 氏政,猪俣邦憲に,韮山・山中・足柄城等の備え堅固な様子を伝える[Ⅲ-2041]
3.11 氏直,信定に,軍勢の改め・普請等を指示し備えを固めさせる[Ⅲ-2043・2044]
3.12 氏直,岡本八郎左衛門尉に,小田原城内の守備担当場所に配置する兵員等を定める[Ⅲ-2127]
3.18 氏直,屛風山(箱根町)を視察する[Ⅰ-780]
3.20 氏直,氏光に足柄城の守備を固めさせる[Ⅲ-2049]
3.25 氏直,千津島の百姓に,大樽運搬のため人足を出させる[Ⅲ-2051]
3.26 政宗,中島宗求に,秀吉の後詰として4月6日に出陣する旨を伝える[Ⅰ-783]
3.27 秀吉,駿河沼津に着く,翌日山中方面を巡視する[家忠日記]
3.28 秀吉,徳川家康の軍勢を小田原に差し向けること等を定める[Ⅰ-784]
3.29 豊臣秀次ら,山中城を攻略する,松田康長ら討死する[Ⅰ-785,Ⅲ-2061]≪山中落城≫
4.1 鷹巣城(箱根町)開城する[Ⅰ-789]
〃 秀吉,箱根峠に陣を置く[Ⅰ-786・791](一説に4月2日[Ⅰ-789])
4.1 家康,箱根山付近に陣取る[Ⅰ-787]
〃 底倉村の安藤隼人ら,秀吉禁制を獲得する[相州文書]
4.2 足柄城・根府川城開城する,同じ頃,久野要害開城する[Ⅰ-789・791]≪足柄開城≫
〃 秀吉の先手の軍勢が,小田原付近に陣取る[Ⅰ-788]
4.3 氏房,某に,久野戸張の防備を任せる[Ⅰ-790]
〃 家康,小田原へ入り,翌日小田原城近くに陣取る[Ⅰ-787]
4.5 秀吉,早雲寺を本陣とする[Ⅰ-796・807]
4.5頃 家康,山崎に陣取る,浅野幸長,早川口に陣取る[Ⅰ-793]
4.6 榊原康政,小田原城中に入ろうとした敵を討ち取る[Ⅰ-797]
4.7以前 豊臣方の水軍が,小田原を海上封鎖する[Ⅰ-798・789]
4.8 皆川広照,投降する[Ⅰ-800・805](一説に4月9日[Ⅰ-813])
4.8頃 豊臣軍,韮山城攻略のため付城等を築造し,この日完成する[Ⅰ-798・799]
4.10 家康,小田原城の城際まで押し詰める[Ⅰ-801]
4.12 氏直,信定に敵兵との舌戦を禁じる[Ⅲ-2056]
4.13 氏直,伊丹氏らに尺木際を固めさせる[Ⅲ-2057]
〃 秀吉,北政所に,小田原在陣が長陣となること等を伝える[Ⅰ-806]
4.14 氏直,信定らに敵の小田原城攻撃が間近いことを伝え,普請に努めさせる[Ⅲ-2058,戦-3707・3708]
4.15 秀吉,家康の陣所を見舞う[Ⅰ-809]
4.16 氏直,小山田将監の忠節を賞し,上野西之庄内の地を充行うことを約す[Ⅲ-2060]
4.20 玉縄城主氏勝,投降する[阿岐留神社文書]≪玉縄開城≫
〃 上野松井田城主大道寺政繁,投降する[Ⅰ-815]≪松井田開城≫
4.中旬以前 豊臣軍の小田原城包囲陣が完成する[Ⅰ-802]
4.22 氏直,三堀喜右衛門に禁制を下し,不法者を注進させる[Ⅲ-2063]
〃 前田利家,小田原へ赴き,秀吉に上野の状況を報告する[Ⅰ-838]
4.23頃 下田城開城する[Ⅰ-820]≪下田開城≫
4.25 氏直,池田弥九郎に,討死した兄孫五郎の名跡を継がせる[Ⅲ-2064]
4.27 秀吉,上杉景勝に地下人・百姓の還住を命じ,人身売買を禁じる[Ⅰ-825]
〃 浅野長政ら,武蔵江戸城を接収する[Ⅰ-826]≪江戸開城≫
4.28 芝山宗勝,芝弥八郎に,石垣山一夜城が翌月中には完成すると伝える[Ⅰ-827]
4.下旬以降 豊臣方により,北条方の持城・兵力の覚書が作成される(兵力34,350騎)[Ⅰ-821]
4.━ 秀吉,高田郷24か村・大友村・曽我等7か村・国府津等に禁制を下す[Ⅰ-830,松島文書,相州文書]
〃 秀吉,飯田郷・栢山郷・酒匂郷等に掟書を下す[Ⅰ-833,小沢文書,酒井文書]
5.1 秀吉,大政所に,小田原城攻撃に長期間を要すること等を伝える[Ⅰ-834]
5.2 勅使勧修寺晴豊ら,秀吉の陣中見舞いのため出京する(6月3日帰京)[Ⅰ-824・856,晴豊公記]
5.3 氏房の家臣広沢重信,織田信雄・蒲生氏郷の陣所を夜襲し敗れるという[関八州古戦録]
5.7 秀吉,淀殿を小田原に下向させるため,稲田清蔵を遣す[Ⅰ-840]
5.14 片桐直倫,底倉郷に定書を下す[神-9776]
5.14頃 石垣山一夜城の石垣や台所が完成する[Ⅰ-843]
5.16 某小太郎,多聞院英俊に,小田原城内には6万人が籠城していると語る[Ⅰ-846]
5.20 武蔵岩付城開城する[Ⅰ-852・859]≪岩付開城≫
5.22 秀吉,稲葉重通に兵粮米を小田原へ廻送させる[Ⅰ-850]
5.27 堀秀政(38),小田原陣中で没する[Ⅰ-853,藩翰譜]
〃 佐竹義宣・宇都宮国綱,秀吉に出仕する[神-9788]
6.1 氏直,信定に改めて陣中掟を下す[Ⅲ-2069]
6.5 和田信業の家臣ら,小田原城を出る[Ⅰ-857]
〃 政宗,小田原へ参陣する(6月9日秀吉に出仕)[Ⅰ-861]
6.6~7 岡田利世,小田原城に入り氏直と対面する[Ⅰ-860]
6.6 戸沢盛安(25),小田原陣中で没する[寛永諸家系図伝]
6.7 家康,氏規に,韮山を開城し,秀吉に氏政父子の赦免を請うよう勧める[Ⅰ-858]
6.8 利世,小田原籠城の信定に投降を勧める[Ⅰ-860]
6.12 氏直,信定に守備を固めさせる[Ⅲ-2073]
6.14 秀次配下の田中吉政の兵,小田原城の兵と戦う[田中文書]
〃 氏邦降伏し,武蔵鉢形城開城する[通p919]≪鉢形開城≫
6.16 松田憲秀・政尭父子,豊臣方への内通を企て失敗する[Ⅰ-864・865,Ⅲ-2074]
6.20 氏直,木呂子下野守・岩田河内守の参陣を賞する[Ⅲ-2075,神-9806]
〃 小田原籠城の成田氏長,山中長俊の勧めにより投降をはかる[Ⅰ-867・868]
6.22 氏康の妻瑞渓院(今川氏親娘)・氏政の後妻鳳翔院,没する[伝心庵過去帳]
〃 井伊直政,小田原城の福門寺曲輪を攻略する[Ⅰ-870,北条五代記]
6.23 武蔵八王子城落城する[Ⅰ-872・873]≪八王子落城≫
6.24 小田原城中に,豊臣方の和平の使者黒田如水らが遣わされるという[Ⅰ-875]
〃 氏規降伏し,韮山城開城する[通p921]≪韮山開城≫
6.25以前 津久井城(津久井町)開城する[神-9808]
6.26 秀吉,石垣山一夜城へ陣所を移す[Ⅰ-876]≪秀吉の石垣山一夜城入城≫
6.29 秀吉,景勝に酒匂への陣取りを命じる[Ⅰ-877]
7.1 氏直,秀吉への投降を決意する[Ⅲ-2076]
7.1頃 秀吉,氏直の投降を仲介しようとした斯波義近を処罰する[Ⅰ-881・883]
7.5 氏直,滝川雄利陣所へ走り入り投降する[Ⅰ-884]≪氏直の降伏≫
〃 秀吉,氏直に,本人の助命と,氏政・氏照ら4人の切腹を命じる[Ⅰ-885・892]
7.6 秀吉,小田原城を接収する(使者脇坂安治・片桐且元・榊原康政)[Ⅰ-891・893~895]≪小田原開城≫
7.7 籠城した北条方の武士が小田原城を出,家康の陣所に置かれる[Ⅰ-893・894]
7.7~8 地下人が小田原城を出る[Ⅰ-893]
7.9 氏政ら,田村長伝の家に入るという[Ⅰ-897]
7.10 氏政,小田原城を出,家康の陣所に置かれる[Ⅰ-900]
〃 家康,小田原城に入城する[Ⅰ-893]
7.11 氏政・氏照切腹し,7月16日首を聚楽の橋(京都市)に晒される[Ⅰ-902・893・904]≪氏政の切腹≫
7.11頃 穴太衆35人,帰郷の途につく[小早川家文書]
7.12 氏直,高野山追放処分となる[Ⅰ-893]
7.13 秀吉,小田原城に入城する[Ⅰ-893]
7.14 武蔵忍城(埼玉県行田市)開城する[簗田家文書・滝川文書]
7.15頃 淀殿,帰京のため小田原を出発する[Ⅰ-898・903]
7.16 秀吉,会津に向け小田原を出発する[Ⅰ-893]
7.17・19 氏直,桜井肥前守・御宿左衛門の籠城を賞する[Ⅲ-2077・2079]
7.21 氏直,小田原を出発し,8月12日高野山に入山する[Ⅰ-893・914]≪氏直の高野山追放≫
7.以降 小田原商人冨山栄弘,小田原開城により武蔵豊島郡に移住する[Ⅰ-585]
文化・宗教
1.26 松田直秀,長泉院に殺生禁止等を定める[神-9583]
2.10 氏直,宝安寺に法度を下す[Ⅲ-2022]
2.30 氏直,伝肇寺に松田氏取り次ぎの人質を預ける[Ⅲ-2035]
3.20 直秀,長泉院に中沼郷(南足柄市)の5貫文の地を寄進する[神-9639]
3.21 松田康長,箱根別当亮山に,徳川家康の動向等について伝える[Ⅰ-782]
3.━ 山上宗二,皆川広照に茶湯書(山上宗二記)を与える[Ⅰ-590]
4.11 宗二(47),豊臣秀吉に殺されるという[長闇堂記]
4.15 高城胤則,下総六所神社(千葉県市川市)に,小田原籠城につき立願のため,野駒1疋の奉納を約する[Ⅰ-808]
〃 明叟宗普(75),遺偈を書き没する[Ⅰ-663]
4.16 氏直,本誓寺に禁制を下す[Ⅲ-2059]
4.20 氏直,玉伝寺に禁制を下す[Ⅲ-2062]
4.22 千利休,石清水八幡宮瀧本坊実乗に小田原の状況を伝える[Ⅰ-816]
4.26 氏直,伝肇寺に禁制を下す[Ⅲ-2065]
4.━ 秀吉,善栄寺・飯泉山坊中に禁制を下す[Ⅰ-831・832]
〃 秀吉,箱根寺家門前に掟書を下す[神-9703]
5.9 増田長盛,長泉院に僧衆等の還住を命じる[Ⅰ-841]
5.14 本願寺教如,小田原へ下向し,秀吉を見舞う,翌日秀吉の茶会に招かれる[神-9781]
5.29 秀吉,小田原陣中で茶会を催す[Ⅰ-854]
5.━ 秀吉,真楽寺に禁制を下す[Ⅰ-855]
6.10 氏直,妙光院に禁制を下す[Ⅲ-2072]
6.18 秀吉,本阿弥光悦・後藤徳乗らを小田原から京都へ帰らせる[Ⅰ-866]
6.19 利休,「山の家」(早川の畑の平カ)に移り住む[Ⅰ-869]≪千利休の「山の家」居住≫
6.20 利休,古田織部に,石垣山一夜城が当月中に完成する旨等を伝える[Ⅰ-869]
6.22 細川藤孝,小田原陣中で昨夢斎紹旨と連歌会を行う[Ⅰ-879]
6.29 藤孝,小田原陣中で和歌を詠む[Ⅰ-879]
6.━ 石尾治一,伊豆韮山城攻めに従い,氏康旧蔵の太平記を得るという[参考太平記凡例]
7.8 日新,宇野光治の小田原籠城の労をねぎらう[Ⅰ-896]
7.15 藤孝,足柄山を越えて帰途につく[Ⅰ-879]
7.15頃 碁打庄林入道ら,帰京の途につく[小早川家文書]
7.16頃 幸若,帰京の途につく[小早川家文書]
7.21 豊臣秀次,総世寺に梵鐘を寄進する[銘-55]
7.━ 氏直,黒田如水に,和睦調停の礼として吾妻鏡等を贈る[Ⅰ-886]
〃 秀吉,戦勝品として北条氏所持の遠浦帰帆の絵を得る[Ⅰ-887]
7.頃 秀吉,建長寺天源庵の三祖像を得る[大徳寺文書]
この年以前 氏直,能の師匠として宝生四郎左ヱ門を小田原に招く[観世家譜]
国内・国際
1.14 旭姫(48)没する
2.2 前田利家,伊達政宗に下野への出陣を勧める
2.10 徳川家康,駿府を出陣する
2.17 豊臣秀吉,浅野長政・長束正家に,小田原陣所につき申し付ける
2.25 秀吉,加藤嘉明に,日和次第に紀伊九鬼島から東国へ向け出航させる
〃 脇坂安治,遠江今切に着岸する
2.━ 家康,鳥居元忠に小田原陣の軍法を下す
3.4 秀吉,安治に,海上からの伊豆見廻りに越度のないよう戒める
3.8 秀吉,駿河黄瀬川に着陣する
3.17 秀吉の命により刀を製造するため,奈良の銀師・鞘師が上洛する
3.19 秀吉,駿府に入る
3.19頃 朝廷,延暦寺に秀吉の戦勝祈念を命じる
4.4 秀吉,九鬼島の兵粮奉行に兵粮米を廻送させる
4.20 長政,政宗に,小田原参陣を促す
4.23頃 秀吉,家康に伊豆国を与える
5.2 利家家臣河島重続,政宗の小田原参陣を促す
5.16 石田三成,岩城常隆に,小田原参陣を促す
6.22 西園寺公朝(76)没する
7.23以前 家康,秀吉より関東の支配を任される