| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 時代区分 | 近世(1590-1870) |
| 西暦 | 1713 |
| 年号 | 正徳3年(1713)癸巳閏⑤ |
| 君主 | 大久保忠増 大久保忠方 |
| 政治・経済 | 2.28 大久保忠増,寛永寺における長昌院(家宣母)50回忌法要の総奉行をつとめる[Ⅰ-2] 5.7 川村関所掛り14か村が柵・定番人宅の修復を4組に分けて担当する[Ⅱ-313] 5.14 根府川村がほかの根府川関所掛り村(石橋・米神・江ノ浦3か村)の人足役不出勤を訴え出る[Ⅱ-314] 7.22 関本村(南足柄市)が矢倉沢往還の駄賃荷物につき伊奈忠逵に書き上げる[県9-交188] 7.25 忠増(58),江戸にて病没する(法名心観院)[Ⅰ-2] 9.12 大久保忠英(忠方),跡式を相続し小田原藩主となり,弟宇津教保に6000石を分知する[Ⅰ-2] 9.25 忠英(忠方),部屋住中拝領の一橋外の屋敷を献上する[Ⅰ-2] 12.18 忠英(忠方)の弟教賢(総陽)が常陸国下館藩主石川総茂の養子となる[県4-2] |
| 社会・文化 | 6.━ 斑目村(南足柄市)ほか5か村が大口土手の修復と御救い米の支給を幕府に願い出る[南3-75] 7.21 箱根新町権右衛門・芦川町神主靱負らが芦ノ湖で漁猟網をはじめる[関上-3] 7.━ 小船村,山林の竹木・下草盗伐につき罰金を定める[Ⅱ-315] |
| 国内・国際 | 1.━ 貝原益軒,健康哲学書「養生訓」を刊行する 3.━ 新井白石,シドッチから入手した外国知識をもとに「采覧異言」を著す 4.2 徳川家継(5),第7代将軍となる 4.23 幕府,幕府領の大庄屋・割元名主制度を廃止し,代官所役人の綱紀粛正を命じる 6.9 幕府,長崎貿易用の銅が不足しているため全国の銅を大坂銅吹屋へ廻送するよう命じる |
時代区分
近世(1590-1870)
西暦
1713
年号
正徳3年(1713)癸巳閏⑤
君主
大久保忠増 大久保忠方
政治・経済
2.28 大久保忠増,寛永寺における長昌院(家宣母)50回忌法要の総奉行をつとめる[Ⅰ-2]
5.7 川村関所掛り14か村が柵・定番人宅の修復を4組に分けて担当する[Ⅱ-313]
5.14 根府川村がほかの根府川関所掛り村(石橋・米神・江ノ浦3か村)の人足役不出勤を訴え出る[Ⅱ-314]
7.22 関本村(南足柄市)が矢倉沢往還の駄賃荷物につき伊奈忠逵に書き上げる[県9-交188]
7.25 忠増(58),江戸にて病没する(法名心観院)[Ⅰ-2]
9.12 大久保忠英(忠方),跡式を相続し小田原藩主となり,弟宇津教保に6000石を分知する[Ⅰ-2]
9.25 忠英(忠方),部屋住中拝領の一橋外の屋敷を献上する[Ⅰ-2]
12.18 忠英(忠方)の弟教賢(総陽)が常陸国下館藩主石川総茂の養子となる[県4-2]
社会・文化
6.━ 斑目村(南足柄市)ほか5か村が大口土手の修復と御救い米の支給を幕府に願い出る[南3-75]
7.21 箱根新町権右衛門・芦川町神主靱負らが芦ノ湖で漁猟網をはじめる[関上-3]
7.━ 小船村,山林の竹木・下草盗伐につき罰金を定める[Ⅱ-315]
国内・国際
1.━ 貝原益軒,健康哲学書「養生訓」を刊行する
3.━ 新井白石,シドッチから入手した外国知識をもとに「采覧異言」を著す
4.2 徳川家継(5),第7代将軍となる
4.23 幕府,幕府領の大庄屋・割元名主制度を廃止し,代官所役人の綱紀粛正を命じる
6.9 幕府,長崎貿易用の銅が不足しているため全国の銅を大坂銅吹屋へ廻送するよう命じる