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項目 内容
時代区分 近世(1590-1870)
西暦 1718
年号 享保3年(1718)戊戌閏⑩
君主 大久保忠方
政治・経済 2.━ 赤田村(大井町)などが新たに小田原宿の伝馬助郷村に編入される[大井1-65] 3.3 大久保教寛,相模国にて5000石を加増される(松永藩総高1万6000石)[寛政譜] 3.5~7.27 大久保忠英(忠方),小田原へ帰城する[Ⅰ-2] 3.20 下大槻村(秦野市)の要望を聞き入れ小田原宿助郷を鴨沢村(中井町)・黒岩村(大磯町)に差し替える[大磯2-5] 4.13 小田原宿定・大助郷63か村が助郷役の軽減を道中奉行に歎願する 4.━ 斑目村(南足柄市)ほか5か村が酒匂川の川筋を元に戻すよう幕府に願い出る[南3-77] 6.━ 忠英(忠方),網代村(熱海市)へ出向く[伊資-島田1] 10.19~ 小田原藩,江戸城下火災の際に神田橋外の火消し役を拝命する(以降,断続的に幕末まで火消し役をつとめる)[県4-2] この年 小田原宿伝馬助郷村が人足役の新規負担に反対し,人足新法は撤回される[南2-18] 〃 領内村の四季打用脇筒が藩の御取り上げとなり拝借鉄砲として把握されることになる[Ⅱ-34]
社会・文化 6.24 小田原町奉行,助人足役軽減を歎願するため城下に屯集した人足ら2000名に解散を命じる≪新規助人足反対騒動≫ 6.29 宝金剛寺・真楽寺・蓮華寺・紹太寺・海蔵寺・最明寺・国分寺に小田原城三の丸までの乗輿が許される 10.━ 御厨領佐野村(裾野市)名主藤右衛門が藩に要請して諸勧進無用の札が御厨領に通達される[裾3-51] この年 大久保忠英(忠方),御厨領須走村(小山町)浅間神社再建に際して白銀10枚・材木を寄進する[小山3-寺250] 〃 岩船地蔵時花念仏が流行する[県5-259]
国内・国際 1.━ 2代目市川団十郎が森田座で「外郎売り」をとットさせ,のち歌舞伎十八番の1つとなる 4.11 幕府,大名・旗本の従者数の削減を命じる 10.18 江戸に町火消しが設置される ⑩.21 幕府,低品質な宝永金銀の通用を禁止する ⑩.25 幕府,江戸の両替屋(銭屋)を600名に制限し,株仲間を結成させる
時代区分
近世(1590-1870)
西暦
1718
年号
享保3年(1718)戊戌閏⑩
君主
大久保忠方
政治・経済
2.━ 赤田村(大井町)などが新たに小田原宿の伝馬助郷村に編入される[大井1-65] 3.3 大久保教寛,相模国にて5000石を加増される(松永藩総高1万6000石)[寛政譜] 3.5~7.27 大久保忠英(忠方),小田原へ帰城する[Ⅰ-2] 3.20 下大槻村(秦野市)の要望を聞き入れ小田原宿助郷を鴨沢村(中井町)・黒岩村(大磯町)に差し替える[大磯2-5] 4.13 小田原宿定・大助郷63か村が助郷役の軽減を道中奉行に歎願する 4.━ 斑目村(南足柄市)ほか5か村が酒匂川の川筋を元に戻すよう幕府に願い出る[南3-77] 6.━ 忠英(忠方),網代村(熱海市)へ出向く[伊資-島田1] 10.19~ 小田原藩,江戸城下火災の際に神田橋外の火消し役を拝命する(以降,断続的に幕末まで火消し役をつとめる)[県4-2] この年 小田原宿伝馬助郷村が人足役の新規負担に反対し,人足新法は撤回される[南2-18] 〃 領内村の四季打用脇筒が藩の御取り上げとなり拝借鉄砲として把握されることになる[Ⅱ-34]
社会・文化
6.24 小田原町奉行,助人足役軽減を歎願するため城下に屯集した人足ら2000名に解散を命じる≪新規助人足反対騒動≫ 6.29 宝金剛寺・真楽寺・蓮華寺・紹太寺・海蔵寺・最明寺・国分寺に小田原城三の丸までの乗輿が許される 10.━ 御厨領佐野村(裾野市)名主藤右衛門が藩に要請して諸勧進無用の札が御厨領に通達される[裾3-51] この年 大久保忠英(忠方),御厨領須走村(小山町)浅間神社再建に際して白銀10枚・材木を寄進する[小山3-寺250] 〃 岩船地蔵時花念仏が流行する[県5-259]
国内・国際
1.━ 2代目市川団十郎が森田座で「外郎売り」をとットさせ,のち歌舞伎十八番の1つとなる 4.11 幕府,大名・旗本の従者数の削減を命じる 10.18 江戸に町火消しが設置される ⑩.21 幕府,低品質な宝永金銀の通用を禁止する ⑩.25 幕府,江戸の両替屋(銭屋)を600名に制限し,株仲間を結成させる
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