| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 時代区分 | 近世(1590-1870) |
| 西暦 | 1740 |
| 年号 | 元文5年(1740)庚申閏⑦ |
| 君主 | 大久保忠興 |
| 政治・経済 | 2.21~⑦.23 大久保忠興,小田原へ帰城する[Ⅰ-2] 4.18 幕府の薬草御用植村左兵衛が箱根山調査のため箱根関所を通過する[関下-27] 4.━ 御用聞き商人の万町米屋権兵衛・欄千橋町茶屋六郎兵衛が5人扶持,竹花町込山屋伊兵衛が3人扶持を藩よりそれぞれ拝領する[Ⅱ-374] 5.25 中村原に置かれていた幕府勘定方会所が廃止される[大井1-14] 6.13 御厨領水窪村・佐野村(裾野市)・神山村・茱萸沢村(御殿場市)が甲州往来商人荷物の継ぎ送り口銭につき甲斐国山中村・駿河国沼津宿・同須走村・伊豆国三島宿などを相手取り訴え出る[裾3-135] この年 筋違橋町~古新宿町の裏通り浜畑の反別を調査する[町誌上] |
| 社会・文化 | 3.━ 庚申年にあたり富士導者多数通行につき矢倉沢村(南足柄市)が蓑正高代官所に勧進橋の架橋を願い出る[南3-158] 4.13 大久保忠興,底倉湯に湯治する[Ⅰ-2] 4.━ 箱根宿小田原町・仙石原村・宮城野村・底倉村が箱根権現領と小田原藩領との境に傍示杭を立て山入会について申し合わせる[関下-32] 11.━ 都夫良野村(山北町)で共同作業の「結い」復活を申し合わせる[Ⅱ-363] この年 御厨領駒門新田(御殿場市)が地蔵堂修復につき四十八夜念仏執行を願い出る[御3-19-9] |
| 国内・国際 | 8.━ 関東で軽業曲芸「人馬」が禁止される[秦叢1-255] 11.18 徳川宗尹が江戸城一橋門内に屋敷を拝領する(御三卿一橋家の創出) 11.24 桜町天皇,280年ぶりに新嘗祭を復活する この頃 薩摩・筑後で絣木綿,下野・下総で縞木綿の生産がはじまる |
時代区分
近世(1590-1870)
西暦
1740
年号
元文5年(1740)庚申閏⑦
君主
大久保忠興
政治・経済
2.21~⑦.23 大久保忠興,小田原へ帰城する[Ⅰ-2]
4.18 幕府の薬草御用植村左兵衛が箱根山調査のため箱根関所を通過する[関下-27]
4.━ 御用聞き商人の万町米屋権兵衛・欄千橋町茶屋六郎兵衛が5人扶持,竹花町込山屋伊兵衛が3人扶持を藩よりそれぞれ拝領する[Ⅱ-374]
5.25 中村原に置かれていた幕府勘定方会所が廃止される[大井1-14]
6.13 御厨領水窪村・佐野村(裾野市)・神山村・茱萸沢村(御殿場市)が甲州往来商人荷物の継ぎ送り口銭につき甲斐国山中村・駿河国沼津宿・同須走村・伊豆国三島宿などを相手取り訴え出る[裾3-135]
この年 筋違橋町~古新宿町の裏通り浜畑の反別を調査する[町誌上]
社会・文化
3.━ 庚申年にあたり富士導者多数通行につき矢倉沢村(南足柄市)が蓑正高代官所に勧進橋の架橋を願い出る[南3-158]
4.13 大久保忠興,底倉湯に湯治する[Ⅰ-2]
4.━ 箱根宿小田原町・仙石原村・宮城野村・底倉村が箱根権現領と小田原藩領との境に傍示杭を立て山入会について申し合わせる[関下-32]
11.━ 都夫良野村(山北町)で共同作業の「結い」復活を申し合わせる[Ⅱ-363]
この年 御厨領駒門新田(御殿場市)が地蔵堂修復につき四十八夜念仏執行を願い出る[御3-19-9]
国内・国際
8.━ 関東で軽業曲芸「人馬」が禁止される[秦叢1-255]
11.18 徳川宗尹が江戸城一橋門内に屋敷を拝領する(御三卿一橋家の創出)
11.24 桜町天皇,280年ぶりに新嘗祭を復活する
この頃 薩摩・筑後で絣木綿,下野・下総で縞木綿の生産がはじまる