| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 時代区分 | 近世(1590-1870) |
| 西暦 | 1836 |
| 年号 | 天保7年(1836)丙申 |
| 君主 | 大久保忠真 |
| 政治・経済 | 1.━ 福泉村(南足柄市)伊八が二宮金次郎から報徳金を借用し田畑を請け戻す[尊徳15] 2.━ 鵜沢作右衛門,二宮金次郎の意見採用に関して藩に上申書を提出する[県5-90] 〃 村借の返済に苦しむ関本村(南足柄市)が二宮金次郎に報徳金150両の借用を願い出る[南2-208] 〃 村柄困窮につき宮上村(湯河原町)湯宿4軒が5か年間4両ずつの拠出金を組合取締役に申し出る[湯1-81] 3.━ 小田原藩,無許可での堂社造営の頼母子講・無尽講を禁止する[御1-2-14] 8.━ 御厨領で酒造・職人賃銭・日雇賃などについて郡中規定を定める[御2-10-19] 9.2~6 甲州郡内騒動につき小田原藩兵を津久井県・御厨筋へ派遣する[Ⅰ-254] 9.4 大久保忠真,打揚腰網代乗物・爪折傘の平日使用を許される[県4-2] 9.8 小田原藩,廻村役人への接待や年末付け届け等について倹約を命じる[御1-2-14] 9.━ 竹花町藤五郎が金子村若三郎ほか3名に酒造道具を10両で売る[Ⅲ-140] 10.中旬 忠真,風邪で横臥し舌疸を病む[Ⅰ-2] 10.16 小田原藩医小笹玄庭,将軍家斉に御目見えする[県4-2] 10.17 川路聖謨,安国殿(家康廟所)に忠真の病気平癒を祈願する 10.━ 凶作のため年貢米が40%減免となるが,領民は不服として石尻用捨を願い出る[県5-225]≪年貢米の減免≫ 11.2 大久保家分家の烏山藩が藩主直書をもって二宮金次郎に報徳仕法の導入を依頼する 11.26 福泉村(南足柄市)の直吉が帰村に当たり,親伊八家の復興につき二宮金次郎が指示を与える[南2-240] 11.━ 御厨領原方組合村むらが夫食米買い受けのため100両の拝借を藩に願い出る[御1-2-17] 12.10 忠真,飢饉による領内損耗に対して官金5000両の拝借を許されるが固辞する[県4-2] 12.19~25 郡奉行大橋利重郎らが飢饉状況の著しい御厨領村を視察し,極難者に扶持米を支給する[御叢2-7-144] 12.28 二宮金次郎,小田原藩領民救済のため江戸藩邸に呼び出される[Ⅰ-2] 12.━ 東山家組合8か村(松田町・秦野市)が難渋人救済を願い出る[秦3-66] |
| 社会・文化 | 3.上旬~7.━ 雨続きで天候不順[県5-225] 6.━ 御厨領では大麦・小麦作皆無,夏夫食に難儀する[御叢2-7-120] 7.6 御厨領郡中一同で須走村(小山町)西ノ大日様に篝火をたき,施餓鬼・祈禱を催す[御叢2-7-125] 7.29 大磯宿で穀屋など7軒が打ちこわされる[大磯2-85・89・91]≪大磯宿打ちこわし≫ 7.~10.━ 冷気が続き袷・綿入を着用する[県5-225] 8.上旬 凶作につき小田原町で質素倹約・買い占め禁止・火の用心等を申し合わせる[Ⅲ-139] 8.━~ 弘西寺村(南足柄市)で村役人らの拠出金を村内困窮人に支給し助け合う[南2-254] 9.5 大磯宿北下町横町より出火,500余軒を焼失する[大磯2-86]≪大磯大火≫ 9.17 今井村東照宮に大久保忠真題銘の顕彰碑が建てられる[金石2-42] 10.9 御殿場村の日野屋兵右衛門が施行のため金120両を供出する[Ⅲ-141] 12.12 御厨領で火災・盗人が増えたので郡中一同に家捜し・山狩りして無宿者を取り締まる[御叢2-7-140] 12.━ 小田原城下で日用稼ぎをしていた茱萸沢村(御殿場市)善兵衛倅が夜廻りの役人に不審者として逮捕される[Ⅲ-142] この年 蓮正寺村名主善三郎,村内困窮人に金3両を施す[Ⅲ-134] |
| 国内・国際 | 2.14 幕府,水戸藩に大砲の鋳造を命じる 4.16 税制改革に成果をあげている薩摩藩が幕府に10万両を献上する 5.25 幕府,関東一円不穏につき各代官に取り締まり強化を命じる 5.━ 幕府,不良札差を処分する 〃 水戸藩,海防のため湊(那珂湊市)に砲台を建造する 6.10 竹島での密貿易を黙認していた浜田藩の前藩主松平康任が永蟄居,藩主康爵が奥州棚倉藩へ転封となる(竹島事件) 8.20 甲斐国一帯で米穀商の米買い占めと代官の無策に憤った農民が打ちこわしをおこす(郡内騒動) 9.21 三河国で農民1万2000人が庄屋宅などを打ちこわす(加茂一揆) 9.24 米価高騰のため大坂の窮民が悪徳商人宅を打ちこわす 11.━ 幕府,三河・遠江・甲斐・信濃・陸奥国での酒造を禁止し,他国での酒造を4分の1に制限する この年 全国で大飢饉となる(天保飢饉) 〃 二宮金次郎,下野国烏山藩領で農村復興仕法に着手する |
時代区分
近世(1590-1870)
西暦
1836
年号
天保7年(1836)丙申
君主
大久保忠真
政治・経済
1.━ 福泉村(南足柄市)伊八が二宮金次郎から報徳金を借用し田畑を請け戻す[尊徳15]
2.━ 鵜沢作右衛門,二宮金次郎の意見採用に関して藩に上申書を提出する[県5-90]
〃 村借の返済に苦しむ関本村(南足柄市)が二宮金次郎に報徳金150両の借用を願い出る[南2-208]
〃 村柄困窮につき宮上村(湯河原町)湯宿4軒が5か年間4両ずつの拠出金を組合取締役に申し出る[湯1-81]
3.━ 小田原藩,無許可での堂社造営の頼母子講・無尽講を禁止する[御1-2-14]
8.━ 御厨領で酒造・職人賃銭・日雇賃などについて郡中規定を定める[御2-10-19]
9.2~6 甲州郡内騒動につき小田原藩兵を津久井県・御厨筋へ派遣する[Ⅰ-254]
9.4 大久保忠真,打揚腰網代乗物・爪折傘の平日使用を許される[県4-2]
9.8 小田原藩,廻村役人への接待や年末付け届け等について倹約を命じる[御1-2-14]
9.━ 竹花町藤五郎が金子村若三郎ほか3名に酒造道具を10両で売る[Ⅲ-140]
10.中旬 忠真,風邪で横臥し舌疸を病む[Ⅰ-2]
10.16 小田原藩医小笹玄庭,将軍家斉に御目見えする[県4-2]
10.17 川路聖謨,安国殿(家康廟所)に忠真の病気平癒を祈願する
10.━ 凶作のため年貢米が40%減免となるが,領民は不服として石尻用捨を願い出る[県5-225]≪年貢米の減免≫
11.2 大久保家分家の烏山藩が藩主直書をもって二宮金次郎に報徳仕法の導入を依頼する
11.26 福泉村(南足柄市)の直吉が帰村に当たり,親伊八家の復興につき二宮金次郎が指示を与える[南2-240]
11.━ 御厨領原方組合村むらが夫食米買い受けのため100両の拝借を藩に願い出る[御1-2-17]
12.10 忠真,飢饉による領内損耗に対して官金5000両の拝借を許されるが固辞する[県4-2]
12.19~25 郡奉行大橋利重郎らが飢饉状況の著しい御厨領村を視察し,極難者に扶持米を支給する[御叢2-7-144]
12.28 二宮金次郎,小田原藩領民救済のため江戸藩邸に呼び出される[Ⅰ-2]
12.━ 東山家組合8か村(松田町・秦野市)が難渋人救済を願い出る[秦3-66]
社会・文化
3.上旬~7.━ 雨続きで天候不順[県5-225]
6.━ 御厨領では大麦・小麦作皆無,夏夫食に難儀する[御叢2-7-120]
7.6 御厨領郡中一同で須走村(小山町)西ノ大日様に篝火をたき,施餓鬼・祈禱を催す[御叢2-7-125]
7.29 大磯宿で穀屋など7軒が打ちこわされる[大磯2-85・89・91]≪大磯宿打ちこわし≫
7.~10.━ 冷気が続き袷・綿入を着用する[県5-225]
8.上旬 凶作につき小田原町で質素倹約・買い占め禁止・火の用心等を申し合わせる[Ⅲ-139]
8.━~ 弘西寺村(南足柄市)で村役人らの拠出金を村内困窮人に支給し助け合う[南2-254]
9.5 大磯宿北下町横町より出火,500余軒を焼失する[大磯2-86]≪大磯大火≫
9.17 今井村東照宮に大久保忠真題銘の顕彰碑が建てられる[金石2-42]
10.9 御殿場村の日野屋兵右衛門が施行のため金120両を供出する[Ⅲ-141]
12.12 御厨領で火災・盗人が増えたので郡中一同に家捜し・山狩りして無宿者を取り締まる[御叢2-7-140]
12.━ 小田原城下で日用稼ぎをしていた茱萸沢村(御殿場市)善兵衛倅が夜廻りの役人に不審者として逮捕される[Ⅲ-142]
この年 蓮正寺村名主善三郎,村内困窮人に金3両を施す[Ⅲ-134]
国内・国際
2.14 幕府,水戸藩に大砲の鋳造を命じる
4.16 税制改革に成果をあげている薩摩藩が幕府に10万両を献上する
5.25 幕府,関東一円不穏につき各代官に取り締まり強化を命じる
5.━ 幕府,不良札差を処分する
〃 水戸藩,海防のため湊(那珂湊市)に砲台を建造する
6.10 竹島での密貿易を黙認していた浜田藩の前藩主松平康任が永蟄居,藩主康爵が奥州棚倉藩へ転封となる(竹島事件)
8.20 甲斐国一帯で米穀商の米買い占めと代官の無策に憤った農民が打ちこわしをおこす(郡内騒動)
9.21 三河国で農民1万2000人が庄屋宅などを打ちこわす(加茂一揆)
9.24 米価高騰のため大坂の窮民が悪徳商人宅を打ちこわす
11.━ 幕府,三河・遠江・甲斐・信濃・陸奥国での酒造を禁止し,他国での酒造を4分の1に制限する
この年 全国で大飢饉となる(天保飢饉)
〃 二宮金次郎,下野国烏山藩領で農村復興仕法に着手する