| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 時代区分 | 近世(1590-1870) |
| 西暦 | 1841 |
| 年号 | 天保12年(1841)辛丑閏① |
| 君主 | 大久保忠愨 |
| 政治・経済 | 3.━ 金井島村(開成町)が報徳仕法施行懇願のため加入金として村内余剰・頼母子講手取り金などを書き上げる[開1-212] 4.7 小田原藩,箱根関所の修復担当(公儀費用)を拝命する[Ⅰ-2] 5.━ 領内の廻船数を調査する(総数578,うち廻船33・押送船22・天当船59・地引網船34・橋船339・海士船12など,ほかに御手船5)[県5-15] 8.13 大久保忠愨,江戸城吹上御庭での調馬上覧に際し騎馬をつとめる[県4-2] 9.━ 曽屋村(秦野市)など小田原宿加助郷村7か村が代助郷免除を願い出る[秦3-102] 〃 鵜沢作右衛門,大勘定奉行・御道具目付に復帰する 10.━ 小田原藩,町方困窮につき小田原町へ家業出精・倹約などを申し触れる[県5-98] 12.━ 宮台村(開成町)が報徳仕法施行歎願のため加入金として村内余剰を書き上げる[開1-214] この年 小田原藩,領内村に5か年の囲い籾を命じる[御3-14-16] |
| 社会・文化 | ①.17 加助郷村82か村が人馬割り当ての不正について小田原宿役人に問いただす[大井2-245] 6.━ 小田原宿の加助郷89か村と定助郷村との間の助郷争論が内済する[秦3-96・98・99] 7.━ 関本村(南足柄市)が矢倉沢村から直接松田村へ抜ける峰通りの旅人通行差し止めを藩に願い出る[南3-166] 10.23 無宿和平治が藩郡奉行大橋儀兵衛組の足軽をかたり金井島村(開成町)名主五郎左衛門より2両をだまし取る[Ⅲ-163] 12.21 関本村(南足柄市)で火災発生,12軒を焼失する[南3-32] |
| 国内・国際 | ①.30 徳川家斉(69),死去する(法名文恭院) 5.9 武蔵国徳丸ケ原(板橋区)で高島秋帆の指導のもと西洋式砲術の演習が行われる 5.15 水野忠邦,幕政改革(天保改革)の実施を宣言する 7.12 幕府,三方領知替えを中止する 7.━ 高島秋帆,高島流砲術を江川英竜に伝授する 10.━ 幕府,著侈禁止令を触れ出す 12.13 幕府,十組問屋の解散を命じるとともに,全国の株仲間・問屋・組合を禁止する 12.28 江戸町奉行鳥居耀蔵・代官江川英竜,豆相房上総の警衛場所巡察を命じられる |
時代区分
近世(1590-1870)
西暦
1841
年号
天保12年(1841)辛丑閏①
君主
大久保忠愨
政治・経済
3.━ 金井島村(開成町)が報徳仕法施行懇願のため加入金として村内余剰・頼母子講手取り金などを書き上げる[開1-212]
4.7 小田原藩,箱根関所の修復担当(公儀費用)を拝命する[Ⅰ-2]
5.━ 領内の廻船数を調査する(総数578,うち廻船33・押送船22・天当船59・地引網船34・橋船339・海士船12など,ほかに御手船5)[県5-15]
8.13 大久保忠愨,江戸城吹上御庭での調馬上覧に際し騎馬をつとめる[県4-2]
9.━ 曽屋村(秦野市)など小田原宿加助郷村7か村が代助郷免除を願い出る[秦3-102]
〃 鵜沢作右衛門,大勘定奉行・御道具目付に復帰する
10.━ 小田原藩,町方困窮につき小田原町へ家業出精・倹約などを申し触れる[県5-98]
12.━ 宮台村(開成町)が報徳仕法施行歎願のため加入金として村内余剰を書き上げる[開1-214]
この年 小田原藩,領内村に5か年の囲い籾を命じる[御3-14-16]
社会・文化
①.17 加助郷村82か村が人馬割り当ての不正について小田原宿役人に問いただす[大井2-245]
6.━ 小田原宿の加助郷89か村と定助郷村との間の助郷争論が内済する[秦3-96・98・99]
7.━ 関本村(南足柄市)が矢倉沢村から直接松田村へ抜ける峰通りの旅人通行差し止めを藩に願い出る[南3-166]
10.23 無宿和平治が藩郡奉行大橋儀兵衛組の足軽をかたり金井島村(開成町)名主五郎左衛門より2両をだまし取る[Ⅲ-163]
12.21 関本村(南足柄市)で火災発生,12軒を焼失する[南3-32]
国内・国際
①.30 徳川家斉(69),死去する(法名文恭院)
5.9 武蔵国徳丸ケ原(板橋区)で高島秋帆の指導のもと西洋式砲術の演習が行われる
5.15 水野忠邦,幕政改革(天保改革)の実施を宣言する
7.12 幕府,三方領知替えを中止する
7.━ 高島秋帆,高島流砲術を江川英竜に伝授する
10.━ 幕府,著侈禁止令を触れ出す
12.13 幕府,十組問屋の解散を命じるとともに,全国の株仲間・問屋・組合を禁止する
12.28 江戸町奉行鳥居耀蔵・代官江川英竜,豆相房上総の警衛場所巡察を命じられる