| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 時代区分 | 近世(1590-1870) |
| 西暦 | 1861 |
| 年号 | 文久元年(1861)辛西 |
| 君主 | 大久保忠礼 |
| 政治・経済 | 1.━ 小田原藩,中筋組合村むらより非常備金1500両を預かり年8朱(8%)で利回し運用する[Ⅲ-236]≪八朱金≫ 〃 小田原藩,大磯宿・東小磯村(大磯町)より非常備金を預かり,八朱金運用をはかる[大磯2-130・131] 〃 川村山北(山北町)ほか23か村の農間稼ぎ炭仕入れ人が駄賃付馬士の不正防止のため藩国産方役所に炭荷付馬の鑑札発給を願い出る[Ⅲ-237] 2.27 農間稼ぎ炭買い主が炭商売・輸送につき仲間規定を定める[Ⅲ-237] 3.12 栃窪村(秦野市)が植え付けた櫨の苗木数を書き上げる[秦3-207] 3.21 御厨領山之尻村・山尾田村(御殿場市)が植え付けた櫨の苗木数を書き上げる[御2-3-40] 4.━ 底倉村・大平台村(箱根町)が蛇骨沢・小川からの用水普請を藩に願い出る[箱郷1-51] 8.28 小田原藩,非常備金5000両積み立ての功績を褒賞し,飯泉村名主半右衛門・曽我原村名主貞吉・篠窪村(大井町)名主治郎左衛門・柳村名主幾左衛門・菖蒲村(秦野市)名主覚左衛門・中原上宿(平塚市)名主利右衛門・鳥屋村(津久井町)名主八郎兵衛に脇差を許す[Ⅲ-239~244など]≪備金積み立て功労者の褒賞≫ 8.━ 小田原宿定助郷103か村が困窮を理由に加助郷・無勤村への負担転嫁を道中奉行に願い出る[大井近代1-5] 11.━~ 大磯宿が人馬持ち立て・宿賄入用として藩より借金する[大磯2-133~138] 12.━ 小田原藩,国産方により前年はじめられた山間村での櫨苗木植え付けにつき手入れ方法などを指導する[Ⅲ-246] |
| 社会・文化 | 4.━ 上町村伝吉が5か年間契約で山西村(二宮町)川勾神社御手洗を借り受け焚湯を行う[ニ1-198] 5.━ 大磯宿茶屋町が飯盛女派遣再開を小田原藩に願い出る[大磯2-132] 〃 本久寺妙見堂の堂守であった成貞法尼を偲んで小西正蔭らにより歌碑が建てられる[金石2-39] 6.11 鏡信一刀流の師匠でもあった藩士木内大七郎が死去し,宗福寺に葬られる[金石2-37] 8.━ 東山家組合村むら(松田町・秦野市)が村役人出張費・藩役人接待費等について倹約を申し合わせる[Ⅲ-238] この年 高島流砲術師範松国弥八郎の門人8名が的絵馬を大稲荷神社に奉納する 〃 東大磯宿の小野懐之が和漢の秉彝塾を開く |
| 国内・国際 | 2.3~8.15 ロシア軍艦ポサドニック号が対馬に来航し,占領を目的に長期滞在する(対馬事件) 3.23 幕府,列国に江戸・大坂の開市と兵庫・新潟の開港延期を要請する 5.25 ギリシア正教会司祭ニコライがロシア領事館司祭として箱館に来る 5.28 水戸藩浪士ら14名が品川のイギリス公使館を襲撃する(第1次東禅寺事件) 6.19 幕府,民間人の大型船建造・外国商船購入を許可する 7.1 講武所の伝習生らに洋服着用が許され,のち一般庶民にも広まる 10.20~11.15 和宮が中山道を通り江戸に到着する 11.13 幕府,ヒュースケン事件に対してアメリカに1万ドルの賠償金を支払う 12.2 幕府,日本最初の翻訳新聞バタビア新聞を発行する 12.4~ 外国奉行水野忠徳らが小笠原諸島を巡察する 12.23 遣欧使節が品川を出発する |
時代区分
近世(1590-1870)
西暦
1861
年号
文久元年(1861)辛西
君主
大久保忠礼
政治・経済
1.━ 小田原藩,中筋組合村むらより非常備金1500両を預かり年8朱(8%)で利回し運用する[Ⅲ-236]≪八朱金≫
〃 小田原藩,大磯宿・東小磯村(大磯町)より非常備金を預かり,八朱金運用をはかる[大磯2-130・131]
〃 川村山北(山北町)ほか23か村の農間稼ぎ炭仕入れ人が駄賃付馬士の不正防止のため藩国産方役所に炭荷付馬の鑑札発給を願い出る[Ⅲ-237]
2.27 農間稼ぎ炭買い主が炭商売・輸送につき仲間規定を定める[Ⅲ-237]
3.12 栃窪村(秦野市)が植え付けた櫨の苗木数を書き上げる[秦3-207]
3.21 御厨領山之尻村・山尾田村(御殿場市)が植え付けた櫨の苗木数を書き上げる[御2-3-40]
4.━ 底倉村・大平台村(箱根町)が蛇骨沢・小川からの用水普請を藩に願い出る[箱郷1-51]
8.28 小田原藩,非常備金5000両積み立ての功績を褒賞し,飯泉村名主半右衛門・曽我原村名主貞吉・篠窪村(大井町)名主治郎左衛門・柳村名主幾左衛門・菖蒲村(秦野市)名主覚左衛門・中原上宿(平塚市)名主利右衛門・鳥屋村(津久井町)名主八郎兵衛に脇差を許す[Ⅲ-239~244など]≪備金積み立て功労者の褒賞≫
8.━ 小田原宿定助郷103か村が困窮を理由に加助郷・無勤村への負担転嫁を道中奉行に願い出る[大井近代1-5]
11.━~ 大磯宿が人馬持ち立て・宿賄入用として藩より借金する[大磯2-133~138]
12.━ 小田原藩,国産方により前年はじめられた山間村での櫨苗木植え付けにつき手入れ方法などを指導する[Ⅲ-246]
社会・文化
4.━ 上町村伝吉が5か年間契約で山西村(二宮町)川勾神社御手洗を借り受け焚湯を行う[ニ1-198]
5.━ 大磯宿茶屋町が飯盛女派遣再開を小田原藩に願い出る[大磯2-132]
〃 本久寺妙見堂の堂守であった成貞法尼を偲んで小西正蔭らにより歌碑が建てられる[金石2-39]
6.11 鏡信一刀流の師匠でもあった藩士木内大七郎が死去し,宗福寺に葬られる[金石2-37]
8.━ 東山家組合村むら(松田町・秦野市)が村役人出張費・藩役人接待費等について倹約を申し合わせる[Ⅲ-238]
この年 高島流砲術師範松国弥八郎の門人8名が的絵馬を大稲荷神社に奉納する
〃 東大磯宿の小野懐之が和漢の秉彝塾を開く
国内・国際
2.3~8.15 ロシア軍艦ポサドニック号が対馬に来航し,占領を目的に長期滞在する(対馬事件)
3.23 幕府,列国に江戸・大坂の開市と兵庫・新潟の開港延期を要請する
5.25 ギリシア正教会司祭ニコライがロシア領事館司祭として箱館に来る
5.28 水戸藩浪士ら14名が品川のイギリス公使館を襲撃する(第1次東禅寺事件)
6.19 幕府,民間人の大型船建造・外国商船購入を許可する
7.1 講武所の伝習生らに洋服着用が許され,のち一般庶民にも広まる
10.20~11.15 和宮が中山道を通り江戸に到着する
11.13 幕府,ヒュースケン事件に対してアメリカに1万ドルの賠償金を支払う
12.2 幕府,日本最初の翻訳新聞バタビア新聞を発行する
12.4~ 外国奉行水野忠徳らが小笠原諸島を巡察する
12.23 遣欧使節が品川を出発する