| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 時代区分 | 近世(1590-1870) |
| 西暦 | 1869 |
| 年号 | 明治2年(1869)己巳 |
| 君主 | 大久保忠良 |
| 政治・経済 | 1.15 小田原藩,幸田門外に訴状箱を設置する[県5-141] 1.━ 小田原藩,難村趣段講が満会となり領内の筋別に無利非常備金を貸し出す[Ⅲ-236] 2.11~ 小田原藩,藩役人の大量罷免を断行する 3.8 小田原藩,駅逓司役所の通達を受けて小田原宿の助郷村を組み替える[秦3-272] 3.21 大久保忠良,領地・領民を返上し版籍奉還する[町誌上]≪版籍奉還≫ 〃 小田原宿の伝馬・人足継ぎ立てが郷賄いに改正される[町誌上] 3.25 明治天皇,東京行幸途中の小田原に宿泊する[町誌上] 3.━ 小田原藩,御用金献上につき辻村秩作・甚八郎父子に永代5人扶持などを支給する[Ⅲ-311] 4.11 宿方助成として小田原町で主段講を設立する[町誌上] 4.18 鳶職の日雇銭を1貫800文に改正する[町誌上] 5.8 小田原藩,諸寺院に風紀粛正を命じる[大井近代1-140] 6.11 小田原藩,職制・兵制・藩校等の改革を実施する[Ⅰ-293] 6.19 小田原藩主大久保忠良が小田原藩知事に就任する[町誌上] 6.━ 小田原藩,国産方を廃止し,あらたに生産方を設置する 7.16 金札通用を嫌う小田原の商人5名が逮捕される[町誌上] 7.20 忠良,小田原帰城のため東京を出発する[Ⅰ-2] 8.13 加藤孫太夫が小田原藩大参事となる[大井1-51] 9.━ 小田原藩,小田原宿助郷賄金の納入を助郷村に催促する[秦3-284] 10.4 大久保忠礼の永蟄居が解除される[Ⅰ-293] 10.13 小田原藩,3等官以上の官職班席などを改正する[Ⅰ-293] 10.20 東京行啓の皇后が清水金左衛門宅に宿泊する[町誌上] 10.24 小田原藩,社寺局・市政局・郡政局を統合し民政局とする[大井1-52]≪民政局設置≫ 10.━ 小田原藩,国産品卸売り・外国品仲買のため青物町に商社を設立する[町誌上] 〃 国府津村平八が紋治郎に浜方仕入商人株を35両で売り渡す[Ⅲ-312] 12.━ 小田原藩,積み立て金・町火消し等取り扱いにつき中宿町町年寄小西治郎左衛門に2人扶持を支給し,帯刀を許す[Ⅲ-313] 〃 甲府城代出張手当・箱根戦争人足賃・城米放出運賃等の立て替え分を三筋惣代が領内村に割り当てる[秦3-289] |
| 社会・文化 | 1.10 牧野村(藤野町)の組頭源右衛門ら百姓が御林山に集会する[県5-257] 1.20 小田原町,火消しを止め消防夫制度を設ける[町誌上] 2.━ 寺子屋の師匠でもあった曽我谷津村宗我神社神主尾崎基成が病没する[金石3-72] 4.━ 地方役所を校舎として英学校創立,堀省三らが教師をつとめる[町誌上]≪英学校≫ 5.11 北村蕙甫・杉本慎斎,慶應義塾に入学する 6.11 藩校諸稽古所を文武館と改称,新たに英学・国学を採用する≪文武館≫ 7.4 小田原城下の玉瀧坊維持のため境内に芝居・寄席の舞台を設置する[町誌上] 7.18 小田原藩,兵士・藩校教師の職名等を改正,文武館稽古日割を発表する[Ⅰ-293] 7.━ 中沼村組合8か村および竹松(南足柄市)・延沢村(開成町)が秣取りのため旧仙石原関所要害地への新道開削を藩生産方役所などへ願い出る[南2-151] 〃 別府信次郎,文武館砲術銃陣一等教師となる 9.━ 吉岡信之,文武館国学一等教師となる 12.━ 庶民の文武館入学が許可される この年 廃仏毀釈により東京の商人に売却され,袖ケ浦(小田原浦)での船積みができず放置されていた箱根賽の河原の延命地蔵を山田又市が買い取り檀那寺徳常院に寄贈する[金石2-18] |
| 国内・国際 | 1.1 最初の洋式灯台として観音崎灯台が点灯する 1.20 諸街道の関所が廃止される 1.━ 百姓・町人の苗字帯刀御免特例が廃止される 2.5 政府,府県に小学校の設置を奨励する 2.22 各開港場に通商司が設置される 3.24 酒匂川以東までの外国人遊歩が許可される 5.18 箱館五稜郭の戦いで榎本武揚軍が降伏する(戊辰戦争の終結) 6.17 274藩が版籍(所領・人民)を朝廷に奉還する(版籍奉還) 7.8 官制改革が行われ2官6省と開拓使が設置される 〃 昌平学校を中心に大学校が開設される 7.17 東京・京都・大阪を除き府を県に改める 7.27 政府,府県奉職規則を制定し職員数などを規定する 7.━ 江川英武が韮山県権知事,柏木忠俊が大参事に就任する 8.3 重税に苦しむ高崎藩領の農民が蜂起する(五万石騒動) 8.15 蝦夷地を北海道と改称する 10.━ イギリス人フェントンが天皇礼式曲として「君が代」を作曲する 11.17 スエズ運河が開通する 12.25 東京―横浜間に公衆電報の取り扱いが開始される この年 和泉要助,人力車を創案する |
時代区分
近世(1590-1870)
西暦
1869
年号
明治2年(1869)己巳
君主
大久保忠良
政治・経済
1.15 小田原藩,幸田門外に訴状箱を設置する[県5-141]
1.━ 小田原藩,難村趣段講が満会となり領内の筋別に無利非常備金を貸し出す[Ⅲ-236]
2.11~ 小田原藩,藩役人の大量罷免を断行する
3.8 小田原藩,駅逓司役所の通達を受けて小田原宿の助郷村を組み替える[秦3-272]
3.21 大久保忠良,領地・領民を返上し版籍奉還する[町誌上]≪版籍奉還≫
〃 小田原宿の伝馬・人足継ぎ立てが郷賄いに改正される[町誌上]
3.25 明治天皇,東京行幸途中の小田原に宿泊する[町誌上]
3.━ 小田原藩,御用金献上につき辻村秩作・甚八郎父子に永代5人扶持などを支給する[Ⅲ-311]
4.11 宿方助成として小田原町で主段講を設立する[町誌上]
4.18 鳶職の日雇銭を1貫800文に改正する[町誌上]
5.8 小田原藩,諸寺院に風紀粛正を命じる[大井近代1-140]
6.11 小田原藩,職制・兵制・藩校等の改革を実施する[Ⅰ-293]
6.19 小田原藩主大久保忠良が小田原藩知事に就任する[町誌上]
6.━ 小田原藩,国産方を廃止し,あらたに生産方を設置する
7.16 金札通用を嫌う小田原の商人5名が逮捕される[町誌上]
7.20 忠良,小田原帰城のため東京を出発する[Ⅰ-2]
8.13 加藤孫太夫が小田原藩大参事となる[大井1-51]
9.━ 小田原藩,小田原宿助郷賄金の納入を助郷村に催促する[秦3-284]
10.4 大久保忠礼の永蟄居が解除される[Ⅰ-293]
10.13 小田原藩,3等官以上の官職班席などを改正する[Ⅰ-293]
10.20 東京行啓の皇后が清水金左衛門宅に宿泊する[町誌上]
10.24 小田原藩,社寺局・市政局・郡政局を統合し民政局とする[大井1-52]≪民政局設置≫
10.━ 小田原藩,国産品卸売り・外国品仲買のため青物町に商社を設立する[町誌上]
〃 国府津村平八が紋治郎に浜方仕入商人株を35両で売り渡す[Ⅲ-312]
12.━ 小田原藩,積み立て金・町火消し等取り扱いにつき中宿町町年寄小西治郎左衛門に2人扶持を支給し,帯刀を許す[Ⅲ-313]
〃 甲府城代出張手当・箱根戦争人足賃・城米放出運賃等の立て替え分を三筋惣代が領内村に割り当てる[秦3-289]
社会・文化
1.10 牧野村(藤野町)の組頭源右衛門ら百姓が御林山に集会する[県5-257]
1.20 小田原町,火消しを止め消防夫制度を設ける[町誌上]
2.━ 寺子屋の師匠でもあった曽我谷津村宗我神社神主尾崎基成が病没する[金石3-72]
4.━ 地方役所を校舎として英学校創立,堀省三らが教師をつとめる[町誌上]≪英学校≫
5.11 北村蕙甫・杉本慎斎,慶應義塾に入学する
6.11 藩校諸稽古所を文武館と改称,新たに英学・国学を採用する≪文武館≫
7.4 小田原城下の玉瀧坊維持のため境内に芝居・寄席の舞台を設置する[町誌上]
7.18 小田原藩,兵士・藩校教師の職名等を改正,文武館稽古日割を発表する[Ⅰ-293]
7.━ 中沼村組合8か村および竹松(南足柄市)・延沢村(開成町)が秣取りのため旧仙石原関所要害地への新道開削を藩生産方役所などへ願い出る[南2-151]
〃 別府信次郎,文武館砲術銃陣一等教師となる
9.━ 吉岡信之,文武館国学一等教師となる
12.━ 庶民の文武館入学が許可される
この年 廃仏毀釈により東京の商人に売却され,袖ケ浦(小田原浦)での船積みができず放置されていた箱根賽の河原の延命地蔵を山田又市が買い取り檀那寺徳常院に寄贈する[金石2-18]
国内・国際
1.1 最初の洋式灯台として観音崎灯台が点灯する
1.20 諸街道の関所が廃止される
1.━ 百姓・町人の苗字帯刀御免特例が廃止される
2.5 政府,府県に小学校の設置を奨励する
2.22 各開港場に通商司が設置される
3.24 酒匂川以東までの外国人遊歩が許可される
5.18 箱館五稜郭の戦いで榎本武揚軍が降伏する(戊辰戦争の終結)
6.17 274藩が版籍(所領・人民)を朝廷に奉還する(版籍奉還)
7.8 官制改革が行われ2官6省と開拓使が設置される
〃 昌平学校を中心に大学校が開設される
7.17 東京・京都・大阪を除き府を県に改める
7.27 政府,府県奉職規則を制定し職員数などを規定する
7.━ 江川英武が韮山県権知事,柏木忠俊が大参事に就任する
8.3 重税に苦しむ高崎藩領の農民が蜂起する(五万石騒動)
8.15 蝦夷地を北海道と改称する
10.━ イギリス人フェントンが天皇礼式曲として「君が代」を作曲する
11.17 スエズ運河が開通する
12.25 東京―横浜間に公衆電報の取り扱いが開始される
この年 和泉要助,人力車を創案する