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項目 内容
時代区分 近現代(1871-2000)
西暦 1875
年号 明治八年(一八七五)乙亥
政治・経済・社会 2.━ 足柄県,行政書類の配布に郵便を利用[201] 4.2 足柄県,捕亡を邏卒と改称[201] 4.━ 内国通運会社小田原駅分社(小西正蔭)・同小八幡取扱所(本多半右衛門)が開業[201] 〃 足柄県,真鶴村ほか5か村石山会社の資本金拝借を内務省に上申,内務省は小野組瓦解にともなう預金104円35銭9厘の繰替処置を県に指令[201] 5.9 足柄県,大区小区会議心得を布達[Ⅰ-26] 5.29 積小社が設立される(小田原銀行の前身,代表辻村甚八郎,資本金1万円)[182] 〃 第1大区1・2小区副区長が小田原駅5町設置を出願し許可される[419] 6.20 第1回地方長官会議に小西正蔭が随行し,石原重固は傍聴人をつとめる[291] 7.8 足柄県,県会議員要領を決定[178] 7.12 足柄県,公選議員による民会設立を木戸孝允に伺う[145] 7.28 第1大区1・2小区を合併して1小区とし,新玉・万年・緑・十字・幸の5町とし,小田原駅5町が成立,10月1小区戸長に石原重固,5町に副戸長を置く[291] 7.━ 小田原駅小野組支店の閉店処理がはじまる[291] 〃 福住正兄,小田原一湯本間車道改修に着手[通] 9.3 足柄県,懲役者に説教・習字・算術の教授を開始[201] 9.25 小田原一箱根山崎間人力車道が開通,1880年9月湯本まで全面開通[通] 10.25 第1大区事務扱所を足柄県庁内に開設,大区・小区の職制概則を定める[19,201] 11.28 足柄県諸税係,料理店ほか16業種者に営業鑑札を発行,県税を賦課する旨を布達[Ⅰ-66] 11.━ 足柄県,大区に地租改正総代人,小区に地主総代を置く,第1大区総代人は公選により大友亀太郎(西大友)・中戸川清造(井細田村)・安藤安賀(寄村)が選ばれる[Ⅰ-87・90] 12.13 石橋村,根拵網開設を足柄県へ願い出,翌年から営業を開始[Ⅰ-113] 12.━ 足柄県下各村,「地租改正地引帳」「地引絵図」の作成をはじめとする地租改正事業に着手[187] 〃 足柄県,巡査職務に関する規則を布達,服装は黄襟金釦の洋服と革靴・棍棒を着用[181,201,421] 〃 足柄県,管下に半鐘を設置し,報知鐘規則を定める[201] 〃 曽根田忠蔵,斗量器製造の免許をうける[121] この年 足柄県,産業課を設置し,小区に勧業世話掛2人を置く[通]
文化・教育 1.26 足柄県,種痘医を派出して種痘施術を開始[Ⅰ-194] 2.4 板橋村で火災,130戸が焼失[201] 2.5 山角町で火災,20戸が焼失[201,419,431] 2.9 前川村で火災,29戸が焼失[201,431] 2.11 松原神社仮神殿で鎮座祭が行われる[291] 6.3 中教院が閉院となり,世話掛吉田元延ほか13名が罷免となる[291,419] 7.28 足柄新聞拡新社(社長中村瞬次郎),廃業届を出す[291] 7.━ 火災頻発のため盂蘭盆の迎え火が廃止となり,絵提灯・切子灯籠は屋内に置かれる[419] 8.8 豪雨,酒匂川・早川の堤防が決壊,早川村・板橋村・曽比村に被害[201] 8.━ 西海子学校(十字町,男子校)が設立される[44,201] 9.━ 日新館を幸学校,啓蒙館を新玉学校と改称[44] 11.9 柏木忠俊,学校資本金250円寄付により太政官から銀杯の下賜をうける[Ⅰ-47] 11.24 井細田村・蓮正寺村など21か村の戸長,学校の新築の可否について会合[Ⅰ-154] 11.━ 足柄県,貸座敷・茶屋料理店・旅籠へ利用者名簿の提出を布達[201] この年 足柄県下で開設された小学校277校,児童数2945人,教員96人,学校設置計画の58%を完了[通]
国内・国際 1.1 郵便役所を郵便局と改称 1.8 学齢を満6歳から14歳までと制定 2.13 平民も必ず姓を称することを布告 2.20 車税規則・酒類税則を制定 2.22 愛国社結成 2.━ 陸運元会社,内国通運会社と改称 3.7 行政警察規則を制定 3.24 地租改正事務局を設置 4.14 漸次立憲政体の樹立の詔書 4.30 神仏合同布教を廃止 6.20 第1回地方官会議を開催(~7月17日) 6.28 讒謗律・新聞紙条例を制定 7.5 元老院開院式 8.5 度量衡取締条例を制定(尺貫法統一) 9.7 家禄・賞典禄を金禄に改正 9.20 江華島事件 10.24 府県に警部を置き邏卒を巡査と称することを決定 11.14 遠江国報徳社創立 11.27 信教の自由を口達 11.30 府県職制・事務章程を制定 12.19 海面の官有を宣言,海面借区制を定める
時代区分
近現代(1871-2000)
西暦
1875
年号
明治八年(一八七五)乙亥
政治・経済・社会
2.━ 足柄県,行政書類の配布に郵便を利用[201] 4.2 足柄県,捕亡を邏卒と改称[201] 4.━ 内国通運会社小田原駅分社(小西正蔭)・同小八幡取扱所(本多半右衛門)が開業[201] 〃 足柄県,真鶴村ほか5か村石山会社の資本金拝借を内務省に上申,内務省は小野組瓦解にともなう預金104円35銭9厘の繰替処置を県に指令[201] 5.9 足柄県,大区小区会議心得を布達[Ⅰ-26] 5.29 積小社が設立される(小田原銀行の前身,代表辻村甚八郎,資本金1万円)[182] 〃 第1大区1・2小区副区長が小田原駅5町設置を出願し許可される[419] 6.20 第1回地方長官会議に小西正蔭が随行し,石原重固は傍聴人をつとめる[291] 7.8 足柄県,県会議員要領を決定[178] 7.12 足柄県,公選議員による民会設立を木戸孝允に伺う[145] 7.28 第1大区1・2小区を合併して1小区とし,新玉・万年・緑・十字・幸の5町とし,小田原駅5町が成立,10月1小区戸長に石原重固,5町に副戸長を置く[291] 7.━ 小田原駅小野組支店の閉店処理がはじまる[291] 〃 福住正兄,小田原一湯本間車道改修に着手[通] 9.3 足柄県,懲役者に説教・習字・算術の教授を開始[201] 9.25 小田原一箱根山崎間人力車道が開通,1880年9月湯本まで全面開通[通] 10.25 第1大区事務扱所を足柄県庁内に開設,大区・小区の職制概則を定める[19,201] 11.28 足柄県諸税係,料理店ほか16業種者に営業鑑札を発行,県税を賦課する旨を布達[Ⅰ-66] 11.━ 足柄県,大区に地租改正総代人,小区に地主総代を置く,第1大区総代人は公選により大友亀太郎(西大友)・中戸川清造(井細田村)・安藤安賀(寄村)が選ばれる[Ⅰ-87・90] 12.13 石橋村,根拵網開設を足柄県へ願い出,翌年から営業を開始[Ⅰ-113] 12.━ 足柄県下各村,「地租改正地引帳」「地引絵図」の作成をはじめとする地租改正事業に着手[187] 〃 足柄県,巡査職務に関する規則を布達,服装は黄襟金釦の洋服と革靴・棍棒を着用[181,201,421] 〃 足柄県,管下に半鐘を設置し,報知鐘規則を定める[201] 〃 曽根田忠蔵,斗量器製造の免許をうける[121] この年 足柄県,産業課を設置し,小区に勧業世話掛2人を置く[通]
文化・教育
1.26 足柄県,種痘医を派出して種痘施術を開始[Ⅰ-194] 2.4 板橋村で火災,130戸が焼失[201] 2.5 山角町で火災,20戸が焼失[201,419,431] 2.9 前川村で火災,29戸が焼失[201,431] 2.11 松原神社仮神殿で鎮座祭が行われる[291] 6.3 中教院が閉院となり,世話掛吉田元延ほか13名が罷免となる[291,419] 7.28 足柄新聞拡新社(社長中村瞬次郎),廃業届を出す[291] 7.━ 火災頻発のため盂蘭盆の迎え火が廃止となり,絵提灯・切子灯籠は屋内に置かれる[419] 8.8 豪雨,酒匂川・早川の堤防が決壊,早川村・板橋村・曽比村に被害[201] 8.━ 西海子学校(十字町,男子校)が設立される[44,201] 9.━ 日新館を幸学校,啓蒙館を新玉学校と改称[44] 11.9 柏木忠俊,学校資本金250円寄付により太政官から銀杯の下賜をうける[Ⅰ-47] 11.24 井細田村・蓮正寺村など21か村の戸長,学校の新築の可否について会合[Ⅰ-154] 11.━ 足柄県,貸座敷・茶屋料理店・旅籠へ利用者名簿の提出を布達[201] この年 足柄県下で開設された小学校277校,児童数2945人,教員96人,学校設置計画の58%を完了[通]
国内・国際
1.1 郵便役所を郵便局と改称 1.8 学齢を満6歳から14歳までと制定 2.13 平民も必ず姓を称することを布告 2.20 車税規則・酒類税則を制定 2.22 愛国社結成 2.━ 陸運元会社,内国通運会社と改称 3.7 行政警察規則を制定 3.24 地租改正事務局を設置 4.14 漸次立憲政体の樹立の詔書 4.30 神仏合同布教を廃止 6.20 第1回地方官会議を開催(~7月17日) 6.28 讒謗律・新聞紙条例を制定 7.5 元老院開院式 8.5 度量衡取締条例を制定(尺貫法統一) 9.7 家禄・賞典禄を金禄に改正 9.20 江華島事件 10.24 府県に警部を置き邏卒を巡査と称することを決定 11.14 遠江国報徳社創立 11.27 信教の自由を口達 11.30 府県職制・事務章程を制定 12.19 海面の官有を宣言,海面借区制を定める
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