古代・中世 |
文亀2年
(1502)壬戌
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この年 早雲,相模で関東管領山内上杉顕定と戦うという[Ⅰ-316]もっと見る
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古代・中世 |
文亀元年
(1501)辛酉閏⑥
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⑥.2 早雲,諏訪頼満に甲斐攻略のため協力を求める[Ⅱ-9]
9.18 早雲,甲斐へ出陣し,9月20日都留郡で戦う[Ⅰ-314,補-4]
10.3 早雲,敗れ退陣する[Ⅰ-314]
この年 早雲,今川...もっと見る
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古代・中世 |
明応9年
(1500)庚申
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11.20 早雲,伊豆行学院(静岡県三島市)に飛脚並びに諸役等を永代免除する[Ⅱ-7]
(15世紀)8.8 量覚院阿弥陀三尊種子板碑が造立される[銘-16]もっと見る
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古代・中世 |
明応8年
(1499)己未
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5.17 早雲,飛鳥井雅康に,争乱につき,駿河今川氏への来訪を翌年に延期するよう勧める[Ⅰ-312]
11.━ 早雲,配流の某王を伊豆三島から相模へ送る[Ⅰ-313]もっと見る
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古代・中世 |
明応7年
(1498)戊午閏⑩
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8.25 東海地方等で大地震,海辺に大津波がおこる,厩川が堰き止められて中村湖が決壊し,押切川となる[勝山記,後法興院記,二宮町史通史編]≪明応の大地震≫
8.━ 早雲,足利茶々丸を討つ[Ⅰ-311]...もっと見る
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古代・中世 |
明応6年
(1497)丁巳
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4.25 早雲,伊豆柏窪(静岡県修善寺町)での大見三人衆の忠節を賞する[Ⅱ-3]
7.2 早雲,敵の動きを注進した大見三人衆を賞する[補-1]
12.5 早雲,大見三人衆の長年の籠城を賞する[補-3]もっと見る
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古代・中世 |
明応5年
(1496)丙辰閏②
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7.━ 伊勢弥次郎・大森式部少輔ら,西郡で関東管領山内上杉顕定と戦い敗れ,自城(小田原城カ)を捨て没落する[Ⅰ-308・309]
12.27 早雲,高橋氏に恩賞を約する[Ⅱ-2]もっと見る
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古代・中世 |
明応4年
(1495)乙卯
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2.5 早雲,伊東祐遠に伊豆伊東七郷のうち本郷村(静岡県伊東市)を充行う[Ⅱ-1]
8.━ 早雲,甲斐へ出陣する,のち講和し退陣する[Ⅰ-303]
9.━ 早雲,大森氏の小田原城を攻略するという[Ⅰ-...もっと見る
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古代・中世 |
明応3年
(1494)甲寅
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8.26 大森氏頼(77)没する[乗光寺過去帳]≪大森氏頼の死去≫
8.━ 早雲,遠江へ出陣し高藤城(静岡県掛川市)の原頼景を攻める[Ⅰ-302]
9.23 総世寺に蟄居中の三浦道寸,新井城(三浦市)...もっと見る
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古代・中世 |
明応2年
(1493)癸丑閏④
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9.━ 早雲,扇谷上杉定正に与し,相模・武蔵で関東管領山内上杉顕定と戦う[Ⅰ-300]
この年 早雲,伊豆へ侵攻する[Ⅰ-297~299]≪早雲の伊豆侵攻≫もっと見る
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古代・中世 |
長徳2年
(996)丙申閏⑦
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7.20 藤原道長,左大臣に任じられるもっと見る
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古代・中世 |
天禄2年
(971)辛未
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7.19 相模に交易調布1200端を進上させる[神古-549]もっと見る
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古代・中世 |
天徳元年
(957)丁巳
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天暦年間 この頃成立した大和物語に小総駅がみえる[Ⅰ-14]もっと見る
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古代・中世 |
天慶3年
(940)庚子
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8.10 相模国分寺の仏,雨の如く汗を流す[神古-517]
8.26 相模定額寺の大仏,汗を流す[神古-517]もっと見る
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古代・中世 |
天慶2年
(939)己亥閏⑦
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6.21 相模権介橘是茂らに,群盗を追捕させる[神古-500]
12.15 平将門,新皇を称して東国々司を任じ,弟将文を相模守とする,次いで武蔵・相模を巡検し印鎰を領する[神古-502]もっと見る
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古代・中世 |
天慶元年
(938)戊戌
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5.23 武蔵,橘近安の犯過を訴え,武蔵や隣国に追捕官符を下す[神古-491]
11.3 伊豆,平将武を訴え,相模・伊豆・駿河・甲斐に追捕官符を下す[神古-493]
承平年間 倭名類聚鈔成立する,桜井...もっと見る
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古代・中世 |
延長5年
(927)丁亥
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12.26 延喜式成立する,相模国の駅に小総が見え,足上郡の寒田神社(松田町)が神名帳に載せられる,また相模国が甘子・橘子を貢進する[Ⅰ-11〜13・15・16]もっと見る
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古代・中世 |
延喜14年
(914)甲戌
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8.8 諸国雑事田地子交易雑物等価を定め,相模は造田13町,膂力婦女田2町,地子交易綿500斤・直4000束と定める[神古-457]もっと見る
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古代・中世 |
延喜元年
(901)辛酉閏⑥
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2.15 東国群盗蜂起により,諸社に奉幣する[神古-445]もっと見る
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古代・中世 |
昌泰3年
(900)庚申
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8.5 足柄・碓氷関の通過に,過所を用いさせる[神古-444]
9世紀 宝金剛寺木造地蔵菩薩立像(帯解け地蔵)・箱根神社木造万巻上人坐像が造立される[通p421~423]もっと見る
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古代・中世 |
昌泰2年
(899)己未
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9.19 僦馬の党の横行により,足柄坂(南足柄市・静岡県小山町)・上野碓氷坂(群馬県松井田町)に関を設ける[神古-440]≪足柄関の設置≫もっと見る
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古代・中世 |
寛平9年
(897)丁巳
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1.25 貢定額采女を改定し,相模は1人とする[神古-433]もっと見る
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古代・中世 |
元慶5年
(881)辛丑
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10.3 相模国分寺を修造し,旧尼寺を国分尼寺とする[神古-421]もっと見る
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古代・中世 |
元慶2年
(878)戊戌
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5.9 相模に槻弓100枝を採進させる[神古-414]
6.21 出羽の夷追討のため,勇敢軽鋭者を待機させる,相模は20人,また相模の綿1000屯を出羽に送り,造襖料に充てる[神古-417]
9.29...もっと見る
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古代・中世 |
貞観8年
(866)丙戌閏③
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5.19 相模等東国5か国に,身長6尺3寸以上の者を貢進させる[神古-383]もっと見る
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古代・中世 |
貞観6年
(864)甲申
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7.27 重ねて,相模・五畿等の国司に,神社を修造させる[神古-378]もっと見る
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古代・中世 |
貞観5年
(863)癸未閏⑥
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7.25 相模・五畿等の国司に,神社を修造させる[神古-378]もっと見る
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古代・中世 |
斉衡2年
(855)乙亥閏④
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④.19 相模飢饉により,賑給する[神古-352]もっと見る
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古代・中世 |
仁寿3年
(853)癸酉
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5.4 相模等東国6か国に,一切経を書写させる[神古-347]もっと見る
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古代・中世 |
嘉祥元年
(848)戊辰
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2.10 相模等5か国に,上総俘囚丸子廻毛等の追討を命じる[神古-323]もっと見る
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古代・中世 |
承和12年
(845)乙丑
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9.10 相模国の申請により,損年外の青苗簿帳の進上を停める[神古-316・315]もっと見る
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古代・中世 |
承和9年
(842)壬戌
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9.5 相模等東国6か国に,三史を書写させる[神古-309]もっと見る
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古代・中世 |
承和6年
(839)己未閏①
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3.4 相模等東国7か国に,一切経を書写させる[神古-300]もっと見る
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古代・中世 |
承和2年
(835)乙卯
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1.15 相模等東国6国司に,貞元并梵釈寺目録所載の律論疏章紀伝集抄を書写させる[神古-290]もっと見る
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古代・中世 |
承和元年
(834)甲寅
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5.15 相模等東国6国司に,一切経を書写させる[神古-288]もっと見る
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古代・中世 |
天長10年
(833)癸丑閏⑦
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5.11 相模等に勅し,相撲節に強力の者を貢進させる[神古-283]もっと見る
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古代・中世 |
天長7年
(830)庚戌閏⑫
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この年 勝福寺,千代から飯泉へ移転するという[飯泉山勝福寺縁起]もっと見る
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古代・中世 |
弘仁11年
(820)庚子閏①
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2.14 遠江・駿河の新羅人700人が叛き,相模等7か国の兵を発して追討する[神古-266]もっと見る
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古代・中世 |
弘仁10年
(819)己亥
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2.19 相模国分寺(海老名市)が焼亡する[神古-261]
8.29 相模国分寺が焼亡する[神古-264]もっと見る
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古代・中世 |
弘仁9年
(818)戊戌
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7.━ 相模・武蔵等大地震,圧死者無数[神古-256]≪弘仁の大地震≫もっと見る
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古代・中世 |
延暦24年
(805)乙酉
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2.5 相模の陸奥・出羽鎮兵350人の,半を勲位者,半を白丁から徴発することとする[神古-223]もっと見る
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古代・中世 |
延暦22年
(803)癸未閏⑩
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5.8 箱根路を廃し,足柄路を復旧する[Ⅰ-10]もっと見る
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古代・中世 |
延暦21年
(802)壬午
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1.11 相模等の浪人44人を陸奥胆沢城(岩手県水沢市)に配置する[神古-216]
5.19 富士山の噴火により,足柄路を廃し,箱根路を開く[Ⅰ-10]
8.3 相模等の損田百姓の負税を免じる[神古-...もっと見る
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古代・中世 |
延暦17年
(798)戊寅閏⑤
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6.21 相模等の夷俘に毎年時服・禄物を賜い,帰郷の思いを絶たせる[神古-212]もっと見る
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古代・中世 |
延暦16年
(797)丁丑
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3.2 相模と甲斐,国境を争い,この日,甲斐都留郡都留村砥石(山梨県上野原村)を国境と定める[神古-211]もっと見る
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古代・中世 |
延暦15年
(796)丙子
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11.8 相模・伊勢等6か国の婦女各2人を陸奥に遣し,養蚕を教えさせる[神古-209]
11.21 相模等の民9000人を陸奥伊治城に移す[神古-210]もっと見る
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古代・中世 |
延暦13年
(794)甲戌
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10.22 平安京に遷都するもっと見る
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古代・中世 |
延暦11年
(792)壬申閏⑪
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6.14 相模に健児100人を置く(健児の設置)[神古-203]
10.25 相模の橘貢納を止める[Ⅰ-9]もっと見る
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古代・中世 |
延暦10年
(791)辛未
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11.3 坂東諸国に,軍粮糒12万余石を備えさせる[神古-202]もっと見る
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古代・中世 |
延暦9年
(790)庚午閏③
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③.4 征夷のため,駿河・信濃以東諸国に革甲2000領を造らせる[神古-194]
③.29 征夷のため,相模・上野以東諸国に軍粮糒14万石を備えさせる[神古-195]
11.27 軍役・疫旱により,坂...もっと見る
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