古代・中世 |
文永8年
(1271)辛未
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2.10 幕府,大友頼泰と詫磨時秀・一万田時景らの,大友庄内屋敷・名田をめぐる相論を裁許する[Ⅰ-109]
7.23 成田庄等を延暦寺講堂造営料所とする[Ⅰ-45]もっと見る
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古代・中世 |
文永7年
(1270)庚午閏⑨
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6.13 幕府,藤原氏(亀鶴)に早川庄一得名内の屋敷・名田等を安堵する[Ⅰ-108]
12.━ 飛鳥井雅有,鎌倉へ下る途中,酒匂に逗留する[Ⅰ-257]もっと見る
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古代・中世 |
文永6年
(1269)己巳
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4.2 仙覚,万葉集注釈を著すもっと見る
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古代・中世 |
文永5年
(1268)戊辰閏①
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3.━ 尼めうかい,山内首藤時通の子のうち僧となる子に,早川庄内一得名内の地を譲与する[Ⅰ-107]
11.11 箱根山東福寺の湯釜が鋳造される[神-569]もっと見る
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古代・中世 |
文永4年
(1267)丁卯
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10.27 幕府,山内首藤俊家と弟時通らの,早川庄多古一得名内屋敷・田畠等をめぐる相論を裁許する[Ⅰ-106]もっと見る
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古代・中世 |
文永3年
(1266)丙寅
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4.9 幕府,小早川竹王丸(定平)と同茂平の,成田庄内北成田郷鶴丸名等をめぐる相論を裁許する[Ⅰ-103]
6.10 二階堂行久,娘向女房に大井庄内吉田島(開成町)等を譲与する(翌年4月24日,幕府こ...もっと見る
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古代・中世 |
文永2年
(1265)乙丑閏④
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9.9 大友能直の後家尼深妙(風早禅尼)没する[系図綜覧]もっと見る
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古代・中世 |
文永元年
(1264)甲子
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8.11 北条時宗,連署に就任するもっと見る
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古代・中世 |
弘長3年
(1263)癸亥
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5.1 将軍宗尊親王,二所参詣の帰途,浜部に逗留する[Ⅰ-256]もっと見る
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古代・中世 |
弘長2年
(1262)壬戌閏⑦
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2.26 叡尊,鎌倉へ下る途中,酒匂宿で休息し国府津に逗留する[Ⅰ-255]≪国府津の初見≫
⑦.25 幕府,詫磨能秀に,二所御奉灯御戸帳等の内上白布2反を8月15日以前に沙汰し進じさせる[鎌-884...もっと見る
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古代・中世 |
弘長元年
(1261)辛酉
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5.13 幕府,日蓮を伊豆伊東に配流するもっと見る
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古代・中世 |
文応元年
(1260)庚申
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9.19 幕府,飯泉景光後家に成田庄飯泉郷内の田地等を安堵する[Ⅰ-99]
10.8 小早川又三郎,小侍番帳に加えられる[吾]
12.1 将軍宗尊親王,二所参詣の帰途,大雨により土肥郷に逗留し,翌日酒...もっと見る
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古代・中世 |
正元元年
(1259)己未閏⑩
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この年 諸国で飢饉・疫病流行(正嘉の飢饉)もっと見る
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古代・中世 |
正嘉2年
(1258)戊午
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12.23 将軍宗尊親王,山内首藤時業に早川庄内の名田・在家等を安堵する[Ⅰ-98]
この年 小早川経平,成田庄内北成田郷鶴丸名の所当米を奪う[Ⅰ-103]もっと見る
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古代・中世 |
正嘉元年
(1257)丁巳閏③
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8.23 戌刻鎌倉大地震,神社仏閣等被害甚大,所々に地割れがおこる[吾]≪正嘉の大地震≫もっと見る
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古代・中世 |
康元元年
(1256)丙辰
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12.10 藤原家信・武蔵法橋康信,正眼寺(箱根町)の伝曽我五郎木造地蔵菩薩立像の胎内に,地蔵・阿弥陀・観音の混合印仏を納入する[神-458・459]
建長年間頃 成田庄内北成田郷鶴丸名百姓平氏,地頭...もっと見る
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古代・中世 |
建長7年
(1255)乙卯
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古代・中世 |
建長6年
(1254)甲寅閏⑤
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6.16 池上藤左衛門尉,鎌倉中物騒により御所に参上し,着到に付けられる[Ⅰ-97]
10.17 幕府,相模の炭・薪・萱・藁・糠の価法を定める[吾]
この年 蓮上院が創建されるという(開山実証)[風土...もっと見る
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古代・中世 |
建長5年
(1253)癸丑
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7.30 幕府,詫磨能秀・一万田時景と大友頼泰の,大友庄内名田・在家をめぐる相論を裁許する[Ⅰ-96]
この年 藤原為家,足柄山を越え東国へ下る[夫木和歌抄]もっと見る
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古代・中世 |
建長4年
(1252)壬子
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3.29 新将軍宗尊親王,鎌倉へ下る途中,関本宿に逗留する[吾]
4.3 宗尊親王の格子番を定め,大友頼泰6番に結番される[吾]
4.14 幕府評定始,箱根権現等に御幣・神馬を奉ることが定められる[吾...もっと見る
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古代・中世 |
建長3年
(1251)辛亥閏⑨
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11.━ 仙覚,駿河へ赴く途中,関本宿の古老宿主に,万葉集のアシカリノワヲカケヤマの場所を尋ねる[仙覚抄]もっと見る
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古代・中世 |
建長2年
(1250)庚戌
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3.1 幕府,大友能直跡・池上左衛門尉・曽我祐信跡・栢山家信跡・小早川茂平らに,閑院内裏造営を分担させる[Ⅰ-94,吾]
5.11 笠間時朝,木造奪衣婆坐像を極楽寺に施入するという[銘-21]
13世...もっと見る
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古代・中世 |
建長元年
(1249)己酉
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6.3 幕府,鶴岡八幡宮領西桑原郷の役夫工米を,政所の沙汰として弁じさせる[Ⅰ-44]
8.21 山内首藤宗俊,子時俊(時通)に早川庄田子郷一得名内の田地・屋敷・在家を譲与する[Ⅰ-93]もっと見る
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古代・中世 |
宝治2年
(1248)戊申閏⑫
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10.24 大友親秀(54)没する[吾]もっと見る
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古代・中世 |
宝治元年
(1247)丁未
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12.29 幕府,京都大番役の巡番を定める,大友能直跡18番に結番される[吾]
この年〜正嘉元年頃 小早川茂平,在京人として活動する[葉黄記,経俊卿記]もっと見る
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古代・中世 |
寛元4年
(1246)丙午閏④
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7.11 前将軍藤原頼経,京都へ送還される途中,酒匂駅に逗留する[Ⅰ-253]
11.3 将軍藤原頼嗣,小早川季氏(国平)に成田庄内北成田郷等の地頭職を,同季保に成田庄北成田郷内の地を安堵する[Ⅰ-9...もっと見る
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古代・中世 |
寛元3年
(1245)乙巳
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1.17 小早川季平,子季保に北成田郷内藤太作の屋敷田1町を譲与する[Ⅰ-89]もっと見る
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古代・中世 |
寛元2年
(1244)甲辰
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1.25 将軍藤原頼経,二所参詣の帰途,浜部宿に逗留する[Ⅰ-252]
3.30 隆弁,頼経子頼嗣の息災御祈のため,箱根権現への参籠を命じられる[吾]
5.29 幕府,将軍頼嗣の病気平癒のため,箱根権...もっと見る
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古代・中世 |
寛元元年
(1243)癸卯閏⑦
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2.23 三浦資村,将軍藤原頼経使者として,桑糸呉綿等を箱根権現に奉納する[吾]もっと見る
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古代・中世 |
仁治3年
(1242)壬寅
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8.24 東関紀行の作者,鎌倉へ下る途中,湯本(箱根町)に逗留する[東関紀行]もっと見る
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古代・中世 |
仁治2年
(1241)辛丑
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1.17 将軍藤原頼経御願として,箱根権現等で神楽を行う[吾]
7.3 隆弁,頼経使者として箱根山般若峯に参籠し,十六会を転読する[吾]
7.15 退耕行勇(79)鎌倉寿福寺で没する[Ⅰ-220]もっと見る
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古代・中世 |
仁治元年
(1240)庚子閏⑩
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8.6 将軍藤原頼経,二所参詣の帰途,酒匂宿に逗留する[Ⅰ-251]もっと見る
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古代・中世 |
延応元年
(1239)己亥
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2.14 箱根権現別当興実と同職衆との喧嘩により,箱根山二月経会を中止する[吾]
3.29 興実と法橋良実,先月の喧嘩につき幕府評定所で対決する[吾]
4.6 尼深妙,嫡男大友親秀に大友郷地頭郷司職を...もっと見る
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古代・中世 |
暦仁元年
(1238)戊戌閏②
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1.28 将軍藤原頼経,上洛の途中,酒匂駅に逗留する[Ⅰ-250]
2.17 頼経入京する,池上康光・大友親秀ら供奉する[Ⅰ-86]
2.28 池上康親,頼経の中納言拝賀に供奉する[Ⅰ-87]
10....もっと見る
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古代・中世 |
嘉禎3年
(1237)丁酉
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9.5 小早川遠平没する[沼田小早川家系図]もっと見る
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古代・中世 |
嘉禎2年
(1236)丙申
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8.4 藤原頼経,若宮大路の新造幕府に移るもっと見る
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古代・中世 |
嘉禎元年
(1235)乙未閏⑥
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3.5 聖覚(69)没するもっと見る
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古代・中世 |
文暦元年
(1234)甲午
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古代・中世 |
天福元年
(1233)癸巳
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古代・中世 |
貞永元年
(1232)壬辰閏⑨
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8.9 酒匂川等の丸石を使用し,鎌倉の海岸に人工の港和賀江島が築かれる[通p211]
この年頃 真楽寺に7年間居住した親鸞,上洛するという[Ⅰ-219]もっと見る
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古代・中世 |
寛喜3年
(1231)辛卯
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この年 諸国大飢饉(寛喜の飢饉)もっと見る
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古代・中世 |
寛喜2年
(1230)庚寅閏①
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①.14 山内首藤重俊,嫡男宗俊に早川庄内一得名の田地・屋敷・在家を譲与する[Ⅰ-85]
①.22 酉刻鎌倉大地震,大慈寺の後山が崩れる[吾]もっと見る
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古代・中世 |
寛喜元年
(1229)己丑
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8.17 暴風甚雨,稲花全滅するもっと見る
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古代・中世 |
安貞2年
(1228)戊子
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8.━ 大友氏,豊後守護として初見[鎌補-946]
10.17 箱根権現焼亡する[吾]
11.9 執権北条泰時,箱根権現焼亡により願書を奉る[吾]
11.28 箱根権現上棟,12月28日,同遷宮[吾]もっと見る
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古代・中世 |
安貞元年
(1227)丁亥閏③
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2.12 将軍藤原頼経,覚意に柳下・千葉郷等を安堵する[Ⅰ-43]
11.24 幕府,頼経の病気平癒祈願のため,箱根権現等に奉幣する[吾]
この年頃 藤原孝道,鎌倉から足柄山を越えて京都に帰る[文机談...もっと見る
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古代・中世 |
嘉禄2年
(1226)丙戌
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この年〜嘉禎元年頃 大友親秀,在京人として活動する[明月記,民経記]もっと見る
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古代・中世 |
嘉禄元年
(1225)乙酉
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6.21 山内首藤経俊(89)没する[山内首藤系図]もっと見る
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古代・中世 |
元仁元年
(1224)甲申閏⑦
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4.24 幕府,大友能直後家尼深妙に,大友郷司地頭職等を安堵する[Ⅰ-84]もっと見る
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古代・中世 |
貞応2年
(1223)癸未
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3.23 曽我祐綱,承久の乱の勲功賞として,土佐介良庄を与えられる[田中教忠氏所蔵文書]
4.16 海道記の作者,鎌倉へ下る途中,酒匂に逗留する[Ⅰ-249]
11.2 大友能直,妻尼深妙に,大友郷地...もっと見る
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古代・中世 |
貞応元年
(1222)壬午
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