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おおくぼただざね

大久保忠真

江戸時代後期の小田原藩主。江戸幕府老中。大久保忠顕の子。幼名秀次郎、仮名新十郎。実名忠真。受領名出羽守、安芸守、次いで加賀守。  1792(寛政4)年、徳川家斉に拝謁し、従五位下出羽守に叙任。1796(寛政8)年忠顕の家督を継ぎ、小田原城11万3千石余を拝領、安芸守に改めた。1800(寛政12)年、奏者番、文化元年(1804)寺社奉行兼帯、同7年大坂城代を拝命、従四位下加賀守となり役地1万石を拝領。1815(文化12)年、京都所司代・侍従となり、1818(文政元)年、老中に就任。1834(天保5)年から勝手掛を担当し、通貨の改鋳や凶荒対策・物価統制のための米価調整、開発、二毛作の奨励などに努めたほか、川路聖謨や間宮林蔵ら人材登用を積極的に行った。藩政においては、藩財政再建のための緊縮政策の徹底に加え、産業新興策としての国産方の設置、藩役人の削減や知行の見直しなど御勝手向の改革に着手。二宮尊徳らの人材登用や、藩校「集成館」を設けて人材育成に努めた。天保6年老中首座に就いて幕閣の最高責任者となり、本格的な幕政改革の手腕を期待されたが、翌年に発病、同8年に幕政・藩政とも成果を見ぬまま没した。法名彰道院欽承良顕。教学院(現・東京都世田谷区)に葬られた。

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