おおくぼただよ
大久保忠世
近世小田原藩主大久保氏初代当主。徳川家康の重臣。大久保忠員の子。仮名新十郎、のち七郎右衛門。実名忠世。 徳川(松平)家譜代の家臣として広忠・家康父子に仕え、数々の合戦に参陣して軍功をあげた。1570(元亀元)年頃には家康直属の一手役の将に抜擢されるなど、庶家の出身ながら一族の中心的存在として活躍。1575(天正3)年遠江二俣城(浜松市)攻略に功があり、同城を任されて城持衆となった。同10年甲斐の武田氏攻略、さらに織田信長没後の信濃経略には子忠隣とともに活躍。同18年の小田原合戦では家康の左翼網一色(小田原市東町)に布陣した。この戦いで小田原北条氏が滅亡し、関東に家康が入部すると、小田原城に4万石(後に5千石加増)で封ぜられた。初代小田原藩主となった忠世は、北条氏時代からの郷村の有力者や、商人・職人を保護・利用して戦後の復興と安定を図る一方、翌19年には主に酒匂川の左岸を中心に検地を実施して石高制を導入するなど、近世的な領国支配の確立に努めた。さらに、寺社の保護や小田原城の整備、酒匂川の治水などにも着手したとされるが、1595(文禄3)年に没した。法名了源院日脱。小田原大久寺に葬られた。