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さなだよしただ(よいち)

佐奈田義忠(与一)

1155(久寿2)年、岡崎義実の子として誕生。父の義実は三浦義明の弟で、相模国大住郡岡崎に住したこと岡崎氏を称した。嫡男の義忠は、岡崎の西方の真田(現平塚市真田)の地を領した。  義忠は1180(治承4)年に父・義実とともに源頼朝の挙兵に参じ、石橋山の戦いにおいて大庭景親率いる平家方に対して奮闘するが享年25歳で討ち死にしている。  その後、鎌倉に幕府を開いた頼朝が1190(建久元)年に三島・箱根・伊豆山参詣の帰りに、石橋山の与一と文三の墓に立ち寄り、哀傷を思い出し涙を流したという『吾妻鏡』。また頼朝は、1197(建久8)年に、与一を弔うために現横浜市栄区上郷町に證菩提寺を建設したとされる。  江戸時代に入ると、忠義の士として歌舞伎に取り上げられ、多くの浮世絵に描かれた。  現在小田原市石橋の佐奈田霊社には、与一を葬った与一塚があり、その足跡を偲ばせている。

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