おかもとしゅうき
岡本秋暉
江戸時代後期の画家。名は祐之丞、隆仙、字は柏樹、号は秋暉で晩年には秋翁を名乗る。1807(文化4)年に江戸芝の彫金家石黒政美の次男に生まれ、のちの小田原藩士岡本家の養子となる。大西圭斎に師事し、渡辺崋山や椿椿山らと交流があった。師の推薦により、小田原藩主大久保忠真に仕え、小田原城二の丸御屋形の「杉戸彩色花鳥図」(小田原城天守閣所蔵)などを手掛けたとされる。花鳥画を得意とし、特に孔雀は伊藤若冲の鶏に並び称される評価を得ていた。1862(文久2)年に56歳で没。 花鳥画が中心の秋暉の作品群の中で、特異な存在となるが「尊徳坐像」(報徳会館所蔵)である。曽比村(現小田原市)の釼持広吉の依頼を受けて、1842(天保13)年に江戸藩邸に滞在していた二宮尊徳の姿をスケッチし、それをもとに書き上げたものと伝わる。この肖像画の素描と下絵についても「紙本淡彩尊徳肖像集」(小田原市尊徳記念館寄託)として現存している。