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ほうじょううじやす

北条氏康

戦国大名小田原北条氏三代当主。北条氏綱の子。幼名伊豆千代丸。仮名新九郎。実名氏康。官途名左京大夫。受領名相模守  1537(天文6)年頃から後継者として政務に関与し、同10年に家督を継承した。同14年に山内扇谷両上杉氏に加え、駿河半国の奪還をねらう今川義元と武田晴信が連携、さらに古河公方足利晴氏も加担して窮地に立った。氏康は晴信の斡旋で駿河から撤退して義元と和睦。一方、講和に応じない両上杉氏と古河公方を翌15年の河越合戦で撃破して扇谷上杉朝定を滅ぼし、武蔵・上野の諸勢力を服属させて山内上杉憲政を圧迫。同21年には憲政を越後に退去させ、上野に勢力をのばした。同23年武田今川両氏と相甲駿三国同盟を結び、古河公方足利義氏の権威を利用して関東東北部の諸勢力と優位な交渉を展開する。内政では、分国の広範囲に及ぶ検地と税制改革の実施、伝馬制度の確立など支配制度の整備を進める。家臣等に対する普請役賦課の基本台帳『所領役帳』の成立をみた1559(永禄2)年に家督を氏政に譲るが、小田原本城にあって「御本城様」と呼ばれ、「武榮」の印判を用いて氏政の政務を後見、また分掌・補完し、1571(元亀2)年に没した。法名大聖寺殿東陽宗岱公大居士。牌所の大聖院は早雲寺山内(箱根町)、下総古河などの説がある。

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