ほうじょううじなお
北条氏直
戦国大名小田原北条氏五代当主。北条氏政の子。幼名国王丸。仮名新九郎。実名氏直。官途名左京大夫。 1580(天正8)年武田勝頼に対抗し徳川家康と連携して伊豆に出陣、この頃織田信長の娘との婚姻を前提に、氏政から家督を譲られた。翌年に軍役改定や段銭増徴など代替り政策を実施するが、その後も「御隠居様」と称された氏政の後見を受けた。同10年織田氏の武田領侵攻に与すが、信長が没すると、その重臣滝川一益を破り東信濃を制圧、甲斐で家康と対陣する。甲斐・信濃の放棄と上野の領有、家康の娘督姫との婚姻を条件に和睦し、上野・下野への侵攻を再開。足利義氏の没後断絶していた古河公方の権力と領国を併合して関東における身分秩序の頂点に君臨するとともに、小田原北条氏最大の領国を形成した。 徳川家康や伊達政宗らと連携して豊臣秀吉に対抗した後、服属を表明して秀吉の領土裁定を受容したが、名胡桃城(群馬県利根郡みなかみ町)の処置をめぐり交渉が決裂。天正18年、総構の構築で中世最大級の城郭となった小田原城に主力を投入して決戦に臨むも、秀吉の大軍に屈した。高野山追放後に赦免されて大名に復し、見性斎と称して秀吉に仕えるが、間もなく病没した。法名松巌院殿大円宗徹公大居士。墓所は早雲寺(箱根町)にある。