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いなばまさかつ

稲葉正勝

江戸時代前期の小田原藩主。江戸幕府年寄職(老中)。小早川家家老稲葉正成の子。幼名千熊、仮名宇右衛門、実名正勝。受領名丹後守。母は徳川家光の乳母お福(春日局)。  1602(慶長7)年に召出されて家光付小姓となり、500石等を与えられる。御小姓組番頭などを経て1621(元和7)年御書院番番頭となり1500石加増。同9年、家光の将軍職就任とともに、従五位下丹後守に任官、3千石を加増されて奉行職に加えられ、幕府中枢で活躍する。翌1624(寛永元)年、5千石加増で大名に列し、同5年父正成の遺領2万石を相続して下野真岡藩(真岡市)4万石の藩主となる。同9年の肥後熊本藩主加藤家の改易に、幕府上使として熊本城の受取りや国政の処置などを処理、同年倍増の8万5000石で小田原に封じられ、箱根関所をも管掌した。また幕府内では貿易輸入品を扱う唐物方、舞々や猿学、座頭などの諸集団の支配も担当するようになる。小田原を拝領し、上洛に伴う家光の小田原城止宿に備えて城と城下の整備を開始した直後、翌10年大地震に見舞われて小田原は壊滅的な被害を受けた上、自身の病状が悪化して翌11年に没した。法名養源寺殿古隠紹太。養源寺(東京都文京区)に葬られた。墓所は紹太寺(小田原市)にもある。

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