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にのみやそんとく

二宮尊徳

小田原栢山(かやま)出身。農政家。報徳仕法(ほうとくしほう)の創始者。百姓の出身ながら小田原藩士、次いで幕臣に登用され、小田原藩家老服部(はっとり)家の財政再建、下野桜町(しもつけさくらまち)領(現、栃木県真岡市)・常陸谷田部(ひたちやたべ)領(現、茨城県つくば市)・日光神領(にっこうしんりょう)(現、栃木県日光市)の復興等を手掛けた。幼少期から青年期までを過ごした生誕地の栢山(かやま)には、積小為大(せきしょういだい)を着想したとされる捨苗栽培地跡(すてなえさいばいちあと)や油菜栽培地跡(あぶらなさいばいちあと)など、のちの報徳仕法(ほうとくしほう)の形成につがる原体験の現場が今も残されている。栢山村(かやまむら)周辺の親族などの関係先等に残る遺品等は小田原市尊徳記念館(そんとくきねんかん)で保管、展示、公開されている。

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