1 生活環境
進む住宅対策
太平洋戦争終戦後は、引揚者も多く、小田原駅や城址公園で野宿する人までもいて、食糧問題とともに住宅問題が深刻であった。本市は戦争による被害は軽かったが、空襲による被害をできるだけ少なくするために、戦時中に家を間引いて壊したりした。また、古くなって住むことができない家屋も多かったので、住宅難は他の市町村に劣らず重要な問題であった。そこで、市は 1949~50年(昭和24~25)にかけて市内にあった建物を買い取り、住宅に困っている人に住んでもらう等、住宅難に対応した。しかし、1951年(昭和26)11月に万年地区に発生した大火によって、住宅が焼失した人を受け入れる住宅の建設が急務となる等、さらに深刻な状況に陥ったこともあり、1952~70年(昭和27~45)にかけて新規団地の建設を行った。この頃の市営住宅は、質より量を求められ、住宅に困っている世帯の住居の安定を図るために低額な家賃の住宅をより多く提供することを目標としていた。1970年(昭和45)以降は、新規団地を建設する土地の確保が極めて困難な状態となったため、1970~94年(昭和 45~平成6)にかけては、老朽化が目立つ平屋建ての木造住宅等を、3~5階建ての住宅に建替えをすることにより、提供する戸数を増やしてきた。最近の傾向としては、量から質へと住宅問題が変わってきている。
さて、2021年(令和3)4月現在、本市には18団地(1, 591戸)の市営住宅があるが、建物の老朽化が大きな課題となっている。このため、建物を長い期間で有効に活用できるように、外壁の改修工事や雨漏りを防ぐための屋上の防水工事等を計画的に行っている。また、階段への手すりの設置や、駐車場の整備等によって、市営住宅で暮らしている人たちが安心して生活できる環境づくりを行っている。近年、募集戸数に対する入居希望者の平均倍率は1倍前後で推移している。
整備される上水道
都市での生活環境の望ましい条件として、清潔で住み良いことがあげられ、上下水道、清掃等の施設は欠くことのできないものである。本市の上水道事業の経過をたどってみよう。上水道は水源を清水新田の地下水に求めて(第一水源地) 1934年(昭和9)に着手し、1936年(昭和11)に完成、くみ上げた水を小峰配水池に送り、ここから給水した。当時町内には掘り抜き井戸が多数あった上、小田原北条時代の遺構といわれる、早川の水を板橋で取り入れた小田原用水を利用する者が多かったため、給水申込はきわめて少なく、申込金1円で10mまでを町費負担で工事する等普及に苦心した。当初の1日最大給水量は5,775㎥、給水地域は旧小田原町の全域で、1938年(昭和13)には総戸数5,568戸に対し普及率は43%になった。やがて1940年(昭和15)の4町村との合併により、新市域への給水が必要となったので、第一期拡張事業を1950年(昭和25)に開始し、8年後に完成した。この事業は、酒匂川、狩川の合流地点で酒匂川の伏流水を取り入れるもので(第二水源地)、1日最大給水量は11,800㎥であった。次に、酒匂川以東や小田急沿線地域への給水のため、第二期拡張事業を1959年(昭和34)に開始、 6年後に完成した。これは成田堤下(現在の成田・桑原地区工業団地内)で酒匂川の伏流水を取り入れるもので(第三水源地)、1日最大給水量は44,000㎥であった。さらに、人口の急増や市民生活の向上とともに水需要が年々増加したため、従来の地下水や伏流水だけでは水量不足が見込まれたので、その原水をきれいにする浄水場を建設し、1974年(昭和49)新たに酒匂川の表流水を神奈川県内広域水道企業団の飯泉堰から取水して給水を開始した。その後、将来的に水質汚染が心配される水源の変更を図り、あわせて人口の減少や節水循環型の水道への対応等に備えて、2002年(平成14)に第五期拡張事業を開始した。この事業では2020年度(令和2)を計画目標年度として、計画給水人口を178,545人、1日最大給水量を71,037㎥とし、現在に至っている。 2006年(平成17)には片浦地区簡易水道事業を市水道事業に統合し、市内の簡易水道がすべて統合された。今後は、本市の基幹施設である高田浄水場を地震災害等にも耐えられ、将来の水需要にも柔軟に対応できるような浄水場に造り変える工事を進め、その他の老朽化した施設の改良等も推進する。道路などに埋まっている水道管についても地震に強い水道管への取り替えを順次行っていく。
普及が進む下水道
下水道も上水道と同様に市の事業である。かつて各家庭の台所等の排水や雨水は、道路の側溝、かんがい用水路により、早川、山王川、酒匂川等から海へ流され、し尿は、汲み取り式便所により各家庭でためた後、収集、処理されていた。本市の下水道は、県下では横浜、川崎、藤沢、横須賀についで1959年(昭和34)に工事にとりかかった。当初、建設省(現・国土交通省)の認可を得た区域は、早川以東から山王川以西で、北は市立病院から久野川に沿った445㌶で、計画排水人口102,000人であった。本市は、し尿や台所等の排水の汚水と雨水を別々に流す分流式を採用した。これは、汚水は道路等の地下に整備した下水道管により終末処理場へ流し、雨水は既設の道路の側溝や排水路を利用して直接川から海へ流す方法である。1966年(昭和41)には、寿町終末処理場で、活性汚泥法による汚水の処理を開始した。これにより各家庭は、トイレを水洗化することで、台所等の汚水と合わせて下水道に流すことができるようになった。
一方、神奈川県の取組としては、昭和30年代後半から県西部でも都市化と工業化が進み、酒匂川をはじめとする河川の水質が悪化しはじめてきたことから、1971年(昭和46)から酒匂川流域下水道計画の検討を始めた。そして、1982年(昭和57)に西酒匂に建設した左岸処理場で、1997年(平成9)に扇町に建設した右岸処理場で、それぞれ汚水の処理を開始した。現在、この 2ヶ所の処理場では、小田原市のほか、秦野市、南足柄市、二宮町、中井町、大井町、松田町、山北町、開成町の汚水の処理をしている。また、2016年(平成28)4月からは、寿町終末処理場で行っていた処理をやめ、汚水を酒匂川の河床下に埋設した下水道管により、対岸の左岸処理場へ送り、処理を行っている。
2021年(令和3)3月末時点で、下水道が使える区域の面積 は2, 547㌶であり、その区域の人口は157, 100人で、全市人口に対する割合は83. 1%である。また、下水道が使える区域にある86, 272戸のうち、93. 9%にあたる81, 009戸が下水道に接続している。
変貌するごみ処理
いろいろな都市問題のうち、市民一人一人に密接に関係する問題がごみ処理である。それは、ごみを捨てるという行為が、子どもから大人まで年齢に関係なく、生活する中で発生するものだからである。
ごみに対する意識や問題は、時代とともに変化している。戦時中及び終戦直後の生活が苦しかった時代には、家庭や工場から出るごみの量はきわめて少なく、各自で処理できた。ところが、戦後70年以上が経過し、生活の豊かさが増すにしたがい、ごみの量も急激に増加し、ごみの内容にも大きな変化が生まれた。電化製品、プラスチックや塩化ビニル等の石油化学製品の増加により、ごみの処理が複雑化し、ごみ処理にかかる費用も増大した。
本市のごみ処理は、1997年(平成9)4月から、9分類15品目で始めた指定ごみ袋制による分別収集・処理が大変革となった。9分類とは、燃せるごみ、びん類、かん類、ペットボトル、「トレー類・表示のあるもの」(略して「トレ・プラ」)、紙 ・ 布類、燃せないごみ、スプレー缶ほか、大型ごみで、15品目とは、紙類のうち新聞紙や雑紙などの分類の中でさらに細かく分けて処理するもので、現在は(平成27年度)ビデオテープ類、その他紙、廃食用油を品目に加えた18品目で分別収集し、15品目で資源化を図っている。2013年度(平成25)からは、障がい者施設の協力を得て小型家電製品の資源化を始めるなど、新たな資源化品目の拡大にも努めている。
このような分別・資源化の結果、燃せるごみの量は1996年度(平成8)の75, 878㌧から2020年度(令和2)は 48, 806㌧に大きく減少した。しかし、経費面では、市内のごみ処理に約24億円(令和元年度)が費やされるなど、資源化を含め、ごみの処理には依然、高額な予算が使われている。
また、本市の焼却灰の埋め立て施設である堀ヶ窪最終処分場の残余容量不足から、処理先の確保が喫緊の課題となっている。特に、東日本大震災後の原発事故により、東日本各地の焼却灰から放射性物質が検出され、一部の施設で受け入れてもらえなくなり、焼却灰の新たな処理先の確保が各地で問題となった。幸い、本市は受入先を確保することができたが、焼却灰は資源化よりもまず処分することが優先される状況が続いていた。現状ではそうした状況が改善されつつあることから、焼却灰の資源化に対応した受入先を確保し、資源化率の向上を図っているところである。
小田原市の燃せるごみの量の推移
このような状況の中で、本市では燃せるごみを減らす努力を続けている。燃せるごみを分析すると、紙類と生ごみで約6割を占めており、効果的に燃せるごみの減量を図るためには、紙類と生ごみに対する取組が必要である。紙類については、2014年度(平成26)から実際に収集を行う小田原市古紙リサイクル事業組合と協力し、小さな紙も紙の収集日に出すよう分別の徹底を呼びかけている。また、2015年度(平成27)からは、高齢者世帯向けのサービスとして登録制の戸別収集を始めるなど、紙類を分別しやすい環境づくりを進めている。
生ごみの削減については、発生抑制と再生利用の両面で減量を進めることができる。生ごみとして出されるものの中には、本来は食べることができたのに捨てられている食品「食品ロス」がある。 2018年度(平成30)の日本の食品ロスは年間600万トンと推計され、小田原市では、家庭から出される燃せるごみの約2割が食品ロスである。そのため、使い切れる量を購入することや、消費期限と賞味期限の違いを正しく理解することなどで食品ロスを減らすことができるよう、市民へ啓発している。また、2010年度(平成22)から「生(いき)ごみ小田原プロジェクト」を実施し、段ボールコンポストによる生ごみの堆肥化を推進している。このプロジェクトには、 6, 300世帯を超える参加件数(2021年8月現在)があり、全国的にみても規模の大きな取組となっている。
燃せるごみを開封した時の様子
市民の分別状況に着目すると、ペットボトルの収集日に出された袋に、石や包丁が入れられたり、トレ・プラの収集日に出された袋にトレ・プラ以外の物が多く含まれたりするなど、市民の分別意識の改善が課題となっている。このため、自治会の組長会議での説明や、小学4年生への出前授業を実施するなど、改めて啓発に力を入れ始めたが、分別状況を改善するためには、市民一人一人が現状を把握し、「資源化を進める」、「燃せるごみの減量」といった分別の意義を理解し、分別に努めることが重要である。
環境保全と公害対策
本市は、市民の健康と良好な生活環境を守るため、公害の未然防止を基調とする予防的な公害行政を推進している。
現在、市内で広域的な公害の発生は報告されておらず、1年間に受ける公害苦情件数もここ数年60件前後である。水質保全の対策としては、市内の主要河川や海域・地下水などを日ごろから監視し、市内工場及び事業場にも定期的に立入調査を実施している。また、生活排水による水質汚濁の未然防止に関してホームページに掲載し、市民への周知啓発を行っている。1991年度(平成3)から開始した合併処理浄化槽への転換にかかる補助金制度の実施も継続しており、河川の汚濁防止に努めている。大気保全対策としては、神奈川県が市庁舎及び旧市民会館で日ごろから監視を行っているほか、川東タウンセンターマロニエにおいて移動測定機による測定や、交通量の多い交差点付近における窒素酸化物簡易調査を行い、市内の大気の状況を観測している。また、光化学スモッグ対策については、「小田原市光化学スモッグ対策実施要綱」に基づき被害防止に努めている。
年度別公害苦情件数 (小田原市統計要覧)
騒音振動対策として、主要幹線道路については、常時監視を行っているほか、新幹線鉄道、住環境等の騒音や振動の調査を行っている。ここ最近は、規制が難しい建設現場や屋外作業場における騒音苦情が増加しており、事業所等に対し適宜指導を行っている。
森・里・川・海がひと連なりとなった小田原の豊かな自然環境を守り、子や孫に引き継ぐことは今を生きる我々の義務である。そして、この恵まれた環境の恩恵をすべての市民が受け、守り育てていかれるよう環境保全に関する条例が作られ、1995年(平成 7)4月1日から施行された。この条例施行に伴い、「市の鳥(コアジサシ)」が決まり、環境ボランティアの活動が広がり、環境ボランティア協会が組織され、清掃活動などが継続されている。また、 2016年(平成28)3月には、環境との共生に向けた市民活動の活性化を目指すため、おだわら環境志民ネットワークが設立され、環境保全に取り組む団体、企業、個人の連携を支援している。
本市は、2011年(平成23)の東日本大震災を契機に、地域資源の一つである再生可能エネルギーに着目し、エネルギーの地域自給による持続可能なまちの実現に向け、取組を推進している。
2014年(平成26)には、市、市民、事業者が一丸となって再生可能エネルギーの利用等の促進に取り組むため「小田原市再生可能エネルギーの利用等の促進に関する条例」を制定。翌年の 2015年(平成27)に「小田原市エネルギー計画」を策定し、市内で生活や事業活動を行う人々が再生可能エネルギーの利用等に取り組むための方向性を示した。
また、現在、世界中で地球温暖化が進行し「気候変動」が起こり、災害が発生している。そこで、気候変動の原因となる温室効果ガスの排出を2050年までに全体としてゼロにする「脱炭素社会」の実現が求められている。再生可能エネルギーの利用は温室効果ガスの削減につながるもので、本市でも、2050年までに温室効果ガスの半分以上を占める二酸化炭素の排出量実質ゼロを目指すことを 2019年(令和元)に表明し、脱炭素社会を見据えたエネルギー政策をより一層進めているところである。
保健に力をつくす市立病院・保健センター
市立病院を設け、これに伝染病院を付属させることは、市制施行時に合併町村から要望された条件であった。その後、市長及び市議会は公約実現に努力したがきわめて多額の資金が必要なので実現はなかなか困難であった。しかし、市内のみならず西湘方面にも総合病院としての施設を完備する病院は少なかったので、病状によっては遠く東京、横浜の大病院へ治療を求める人も多く、市立病院建設の要望は年々強まっていった。
そこで、市は1951年(昭和26)より他市の公立病院について調査を行い、資料を集めて研究を重ねた結果、1957年(昭和 32)に市議会で市立病院設置を満場一致で可決した。その後1年 2か月を要して1958年(昭和33)久野の日加工業跡地に完成した。開設当時は病床数110床、外来診療科9科で、設備としてはコバルト60の装置を導入した県西地域におけるがんセンター的性格があった。その後、医療需要の増大と地域住民の要望を背景に、 1972年(昭和47)12月には、病床数345床(一般300床、伝病45床)、外来診療科10科に増設した。そして、患者数のさらなる増加、高齢化社会の進展や疾病構造の変化に伴う医療需要の複雑多様化などに対応するため、1981年(昭和56)12月から総事業費約80億円をかけて全面改築事業を実施し、1985 年(昭和60)3月に現病院が完成した。現病院では、高度医療の推進、特殊医療の実施等のほか、患者の社会復帰を促すためのリハビリテーション室を設置するなどの機能を拡充させ、一般病床417床、外来診療科14科となった。
また、高度医療や様々な医療ニーズに応えるため、診療科も増やし、NICU(新生児特定集中治療室)やICU(特定集中治療室)、 HCU(高度治療室)を備え、CT(コンピュータ断層撮影装置)、 MRI(磁気共鳴断層撮影装置)、PET/CT(陽電子断層撮影装置)、放射線治療装置などの高度医療機器を導入した。現在では、外来診療科26科、一般病床417床となっている。そのほか、災害拠点病院(平成10年3月指定)、地域周産期母子医療センター(平成17年1月指定)、地域がん診療連携拠点病院(平成18年8月指定)、救命救急センター(平成21年4月開設)、地域医療支援病院(平成21年10月承認)などの様々な医療機能を有し県西地域の基幹病院としての役割を担っている。
一方、国では、大きな病院の待ち時間の問題や最近の医師不足など、医療環境を改善するため、病院はより専門的な医療や高度な医療、入院医療や救急医療などを担当し、医院やクリニックでは初期診療や家族のきめ細かな健康チェックができる私たちの身近なかかりつけ医としての機能を地域で分担することとし、限られた医療資源の有効活用をするため、医療機能の分化・連携を進めており、急性期から回復期、在宅療養に至るまで、地域全体で切れ目なく必要な医療が提供される「地域完結型医療」を目指している。 2015年(平成27)には、都道府県に二次医療圏域ごとの地 域医療構想の策定が義務付けられ、神奈川県西部では、県西地域の 2市8町で二次医療圏となっているが、その圏域内における市立病院の機能は、引き続き高度急性期・急性期医療を担う病院である。また、現病院施設は、建設後35年以上が経過し、老朽化や狭隘化が進んでいることから、再整備に取り組んでおり、2018年度(平成30)には新病院が担う診療機能や療養環境、病床規模等についての考え方を示す「小田原市立病院再整備基本構想」を策定し、 2020年度(令和2)には「新病院建設基本計画」を市議会の議決を経て策定し、2026年度(令和8)の新病院の開院を目指して取組を進めている。
また、健康への関心が高まり、生涯を通じての健康づくりをめざした施設の充実が求められていたことから、乳幼児から老人まで市民の健康を守る保健施設として、1988年(昭和63)12月、小田原市保健センターが酒匂に開館した。ここでは乳幼児健診、健康教室、健康相談、検診等の各種保健事業が行われているほか、会議室等は市民による保健活動の場としても利用されている。2018年度(平成3 0)の利用状況は、保健関係事業が1, 672 件、 63, 154人、保健事業以外の利用が359件、10, 270人で、合計73, 000人を超える人の利用があった。
治安を守る警察と消防
社会の治安を維持するために警察と消防があり、日夜市民のために働いている。1948年(昭和23)に警察法が制定され、市及び人口5,000人以上の町村には自治体警察がそれ以外の地域には国家地方警察が置かれた。本市においては同年「小田原市警察職員の定数及び警察署の位置、名称、管轄区域に関する条例」が議決され、従来の小田原警察署庁舎を県より受け継ぎ、翌1949年(昭和24)4月、市の北東部が手薄なので、井細田に足柄警察署を設けて充実を図った。しかし、その徹底した地方分権化は全国的な犯罪の発生に対して捜査を困難にし、また次第に増加する警察費に対して、地方公共団体の財政上の負担が重すぎたので、1954年(昭和29)に警察法の全面改正が行われ、以後県警察に一本化された。
さて、小田原市内の刑法犯(暴行、傷害、詐欺、器物損壊など)の認知件数をみると、2020年(令和2)は749件で3年連続で減少しているが、近年は特殊詐欺(オレオレ詐欺、還付金詐欺)の被害が目立っており、小田原警察署や市、小田原地方防犯協会などといった機関・団体が、注意を呼び掛けている。
次に交通事故の状況については、小田原市内の2020年(令和 2)の交通事故件数は542件で3年連続で減少しているが、65歳以上の高齢者関係事故の割合は増加傾向にある。また、同年の交通事故の負傷者数は630名で6年連続で減少している。
消防は、警察と同じく1948年(昭和23)に消防組織法が制定されたことにより、それまでは警察行政の一部として消火を担当していたが、独立して自治体消防になった。以後市町村長を責任者として、市町村が区域内の消防活動を行うことになり、費用は市町村の負担となった。それを受けて、本市では、1948年(昭和23)「小田原市消防本部ならびに消防署設置条例」の議決により警察署と同時に発足した。本市には常設消防として、消防本部・小田原署(前川)、南町分署・出張所3(荻窪、成田、栢山)と非常勤の消防団23分団が置かれている(2021年4月現在)。2020年中(令和 2 年中)の火災発生件数は 46 件、損害金額は約3, 598万円、死傷者はなかった。主な原因としては、放火、たき火、タバコの火の不始末、こんろなどとなっている。
消防勢力(人員・車両等)は市町村の実情に応じて備えることになっているが、本市における2021年(令和3)4月1日現在の状況は、職員374人、消防車両は消防ポンプ自動車10台、救助工作車2台、化学消防ポンプ自動車1台、はしご付消防自動車1台、高規格救急車8台、支援車1台、その他の車両22台の合計45台であり、消防水利は消火栓2,296基、防火水槽(40㎥以上)722基である。
大規模化・多様化する災害や住民ニーズの多様化など、近年の消防を取り巻く環境は大きく変化しており、消防にはこうした変化に的確に対応していくことが求められている。このような中、2014年(平成25)3月31日から、県西地域(小田原市、南足柄市、中井町、大井町、松田町、山北町、開成町)の消防の広域化が図られることとなった。消防の広域化により、消防署や職員の数が増えたり、災害現場に最も近い消防署から消防車や救急車が出動できるようになったりするなど、災害に対応する基盤がより一層強化された。
このように、環境や生活の変化に対応しながら、警察や消防は、犯罪や交通事故、火災、災害等の様々な危険から、住民の生命や財産を守り、地域の安心安全な生活を支えているのである。
高まる防災意識
我が国は、古代より幾度となく地震による被害にさいなまれてきた。本市でも、1923年(大正12)の関東大地震では壊滅的な被害を受け、現在も東海地震や南海トラフ巨大地震、大正型関東地震、神奈川県西部地震等、さまざまな地震の切迫性が指摘されているところである。
神奈川県では、これら地震による「想定外」の被害をなくすため、 2011年(平成23)3月に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)により明らかになった知見を反映させた「神奈川県地震被害想定調査報告書」を2015年(平成27)3月に発表した。また、東日本大震災では、津波により多くの尊い命が失われた。本市では、津波による被害を最小限に食い止めるため、「津波防災地域づくりに関する法律(2011年(平成23)法律第123号)」に基づき、2021年(令和3)6月に「小田原市津波防災地域づくり推進計画」を策定するなどし、地震対策の強化・充実を図っている。
さらに、近年では、台風や集中豪雨に伴う風水害が全国的に頻発しており、本市においても河川氾濫による洪水や、土砂崩れや土石流による土砂災害等のリスクが高くなっている。このような状況の中で、あらゆる自然災害から命と財産を守るため、本市では「強くしなやかな国民生活の実現を図るための防災・減災等に資する国土強靭化基本法(2013年(平成25)法律第 95号)」に基づき、2022年(令和4)に「小田原市国土強靭化地域計画」を策定し、ハード・ソフト両面による防災対策の充実を図るとともに、行政と市民が両輪となって災害に立ち向かう体制づくりを推進している。主な施策として次のような取組を進めている。
①自主防災組織の育成強化
ア 防災資機材の整備に対する補助事業
イ 住民防災訓練事業
ウ 地域防災リーダー等育成事業
【2021年(令和3)現在250名】
②防災資機材の整備充実 市内4ヵ所に大型資機材等の集中備蓄をしているほか、市内39ヵ所に防災倉庫を設置して応急対策用資機材を備蓄するとともに、発災時に広域避難所となる小中学校の教室等を利用して、生活必需品等の備蓄も進めている。また、地震災害時の初期消火対策として、街頭に消火器を設置している【2021年(令和3)現在4, 876本】。
③災害時における飲料水等の確保対策 災害時における飲料水や生活用水の確保のため、100㌧又は60㌧の水が確保できる地下埋設の飲料水兼用耐震性貯水槽を市内に20基設置している。また、避難所内の配水管が破損した場合でも水道管から直接水が出せる応急給水栓を2017年(平成29)から小中学校に順次設置しており、2023年(令和5)にすべての小中学校に設置が完了する。
④防災行政無線の整備充実 災害情報等を市民に対して迅速に伝達するため、屋外スピーカー(子局)から一斉放送する防災行政無線を1986年(昭和61)に整備している。その後、2007年(平成19)にデジタル方式に完全移行し、すべての子局が国の発信する「全国瞬時警報システム(Jアラート)」に対応している。
【無線局数:2021年(令和3)現在228局】
⑤災害時の情報発信手段の充実
ア 防災メール 事前登録されたメールアドレスに防災行政無線の放送内容や台風の事前の注意喚起情報等を配信している。
イ 音声自動応答装置(テレホンサービス)による情報発信防災行政無線の放送内容を電話(フリーダイヤル)で確認できるシステムを2011年度(平成23)に導入している。
ウ FMおだわらによる情報発信 2007年(平成19)の FMおだわら開局を機に、災害時の情報発信手段として広く情報の提供を行っており、開局に合わせて同年に高齢者や障がい者を対象にポケットラジオを無料配布した。 2011年(平成23)には、国の発信する「全国瞬時警報システム(Jアラート)」を割込放送する設備を整備している。
エ その他 市ホームページや市公式 SNS、テレビデータ放送(J:COM小田原)、緊急速報メール(ドコモ、au、ソフトバンク)など、さまざまな媒体を活用した情報発信を行っている。
⑥防災啓発の推進
ア 各種ハザードマップの作成・配布 本市には地震による津波、大雨による洪水や土砂災害など、さまざまな災害リスクがある。自宅やその周辺における防災情報を事前に把握し、家庭での防災対策の推進を図るため、防災マップや各種ハザードマップを作成して全戸配布している。
イ わが家の避難行動マニュアルの作成・配布 いざというときに適切な行動が取れるよう、各家庭で取るべき行動や事前に準備しておくべき物資等を記した「わが家の避難行動マニュアル」を全戸配布している。
ウ 防災講演会・防災教育等の実施 防災関係の専門家や有識者を講師に招き、市民を対象とした講演会を定期的に開催しているほか、小中学生や自治会役員を対象とした防災教室等を開催し、防災意識の向上を図っている。
住民防災訓練の様子
⑦地震被害軽減化の促進 地震の揺れによる人的被害を軽減するため、道路や公共施設に面した危険なブロック塀等の撤去に対する補助や、木造住宅の耐震診断や耐震補強工事に対する補助を行っている。