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石垣山(いしがきやま)

史跡・天然記念物/文化財指定・登録あり/中世/近世
文化財指定:国指定
文化財指定(年月日):昭和34年5月13日ほか
種別:史跡
指定面積:42,453㎡
 天正(てんしょう)18年(1590)の小田原合戦(おだわらかっせん)に際し、豊臣秀吉(とよとみひでよし)が小田原城攻略のため築いた城で、「石垣山一夜城(いちやじょう)」の名でも親しまれている。石垣で築かれた近世城郭(きんせいじょうかく)で、箱根外輪山(はこねがいりんざん)の一角から派生する標高250m前後の尾根上に立地している。
 城は天守台(てんしゅだい)のある本丸、二の丸(厩曲輪(うまやくるわ))、三の丸、南曲輪(みなみくるわ)、西曲輪(にしくるわ)、井戸曲輪(いどくるわ)のほか腰曲輪(こしくるわ)などの複数の曲輪で構成されており、要所要所に虎口(こぐち)や櫓台(やぐらだい)の跡も認められて、安土(あづち)・桃山(ももやま)時代の城郭の特徴をよく示している。
 石垣は、余り加工をしない自然石を使って積み上げる「野面積(のづらづ)み」で、城郭石垣としては古い技法である。特に井戸曲輪の石垣は残りもよく、圧巻である。
 また、天守台跡等で多量の瓦が出土しており、天守や櫓が存在したようである。なお瓦の中には「辛卯八月日(かのとうはちがつひ)」「天正(てんしょう)十九年」とへら書きされたものもあり、小田原合戦後も短期間ながら城の造営(ぞうえい)が続けられたと考えられている。
 石垣山城は、その後は使用や改修の形跡がなく、豊臣秀吉が築城した当時の姿をよく伝えており貴重である。

〈参考〉『遺跡探訪シリーズ7 史跡石垣山(石垣山一夜城)早川石丁場群関白沢支群』
小田原市教育委員会(2012年)
住所
神奈川県小田原市早川字梅ヶ窪
カテゴリ
史跡・天然記念物/文化財指定・登録あり/中世/近世
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