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大久保一族の墓所(おおくぼいちぞくのぼしょ)

史跡・天然記念物/文化財指定・登録あり/近世
文化財指定:市指定
文化財指定(年月日):昭和39年5月27日
種別:史跡
個数:1箇所
形状等:南北 4.55m
東西 6.88m
 大久寺は、法華(ほっけ)宗(日蓮(にちれん)宗)の寺院で、天正(てんしょう)18年(1590)の北条(ほうじょう)氏滅亡後に小田原城主となった大久保忠世(ただよ)が開基(かいき)となり僧日英(にちえい)を開山(かいざん)として創建された。
 墓所は、南北に長い長方形で東面しており、石垣に囲まれる中に墓石7基が並立している。墓石は、右から大久保忠常(ただつね)、同忠隣(ただちか)、同忠世、同勘三郎忠良(ただよし)、同忠勝(ただかつ)、同忠俊(ただとし)、同勘三郎忠良の娘の墓の順に並ぶ。
 大久保忠世は徳川家康(とくがわいえやす)の三河(みかわ)以来の重臣で、天正18年(1590)の小田原合戦(おだわらかっせん)の後に小田原城を拝領。文禄(ぶんろく)3年(1594)小田原城中で死去し、大久寺に葬られた。墓石は、宝塔(ほうとう)として小田原市の代表的なもので、損傷も少なく優秀である。
 二代忠隣は、徳川秀忠(ひでただ)のもと幕府の要職を務めたが、慶長(けいちょう)19年(1614)に改易(かいえき)・流罪となり、近江国佐和山石ヶ崎(おうみのくにさわやまいしがさき)(現滋賀県彦根市(ひこねし))で没した。なお忠常は忠隣の嫡男(ちゃくなん)であるが、慶長16年(1611)32歳で小田原城中で没している。
 忠俊は忠世の伯父で、天正9年(1581)没。忠勝は忠俊の嫡男で、慶長6年(1601)に没し、大久寺に葬られた。大久保勘三郎は忠勝の五男忠良である。
住所
神奈川県小田原市城山4-24-7
カテゴリ
史跡・天然記念物/文化財指定・登録あり/近世
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