平成輔の墓所(たいらのなりすけのぼしょ)
史跡・天然記念物/文化財指定・登録あり/近世
文化財指定:市指定
文化財指定(年月日):昭和32年3月30日
種別:史跡
個数:1箇所
形状等:東西 11m
南北 12.2m
面積 134.2㎡
正三位参議(しょうさんみさんぎ)であった平成輔(1291~1332)は、後醍醐天皇(ごだいごてんのう)の親任を受けたが、建武(けんむ)の新政(しんせい)の直前、鎌倉幕府の倒幕計画が漏れ、六波羅探題(ろくはらたんだい)に捕らえられた。その後鎌倉に護送される途中、元弘(げんこう)2年(1332)5月22日三河入道円重(みかわにゅうどうえんちょう)によって、早川(はやかわ)の河口で殺害された。この出来事は、『太平記(たいへいき)』などに記されている。
墓所は、石垣で囲まれ、内部がさらに長方形に区画されている。中央には、高さ1.5mの江戸時代に造られた石祠(せきし)があり、その手前左右には2基の灯籠(とうろう)がある。このほか、墓所には南側に栄田君子(さかえだきみこ)の歌碑、東側に大勲位威仁親王(だいくんいたけひとしんのう)筆の記念碑の2基がある。祠(ほこら)の西脇には、かつて樹齢(じゅれい)500年以上の古松があって墓所の景観を形づくっていたが、しばらく前に枯死(こし)し、失われている。
かつてこの場所には元亨(げんこう)3年(1323)創建(そうけん)と伝わる潮音寺(ちょうおんじ)があり、当墓所もその境内(けいだい)に位置していたが、潮音寺が明治41年(1908)報身寺に合併されたため、現在は報身寺の所有となっている。
文化財指定(年月日):昭和32年3月30日
種別:史跡
個数:1箇所
形状等:東西 11m
南北 12.2m
面積 134.2㎡
正三位参議(しょうさんみさんぎ)であった平成輔(1291~1332)は、後醍醐天皇(ごだいごてんのう)の親任を受けたが、建武(けんむ)の新政(しんせい)の直前、鎌倉幕府の倒幕計画が漏れ、六波羅探題(ろくはらたんだい)に捕らえられた。その後鎌倉に護送される途中、元弘(げんこう)2年(1332)5月22日三河入道円重(みかわにゅうどうえんちょう)によって、早川(はやかわ)の河口で殺害された。この出来事は、『太平記(たいへいき)』などに記されている。
墓所は、石垣で囲まれ、内部がさらに長方形に区画されている。中央には、高さ1.5mの江戸時代に造られた石祠(せきし)があり、その手前左右には2基の灯籠(とうろう)がある。このほか、墓所には南側に栄田君子(さかえだきみこ)の歌碑、東側に大勲位威仁親王(だいくんいたけひとしんのう)筆の記念碑の2基がある。祠(ほこら)の西脇には、かつて樹齢(じゅれい)500年以上の古松があって墓所の景観を形づくっていたが、しばらく前に枯死(こし)し、失われている。
かつてこの場所には元亨(げんこう)3年(1323)創建(そうけん)と伝わる潮音寺(ちょうおんじ)があり、当墓所もその境内(けいだい)に位置していたが、潮音寺が明治41年(1908)報身寺に合併されたため、現在は報身寺の所有となっている。
- 住所
- 神奈川県小田原市南町3-10-34報身寺
- カテゴリ
- 史跡・天然記念物/文化財指定・登録あり/近世
