吉岡家文書(よしおかけもんじょ)
古文書・歴史資料/文化財指定・登録あり/近世/近現代
通常一般公開していません。公開については図書館にお問い合わせください。
文化財指定:市指定
文化財指定(年月日):平成4年11月2日
種別:古文書
個数:85点
形状等:近世文書 21点 近代文書 64点
吉岡家文書は、幕末から明治初期にかけて活躍した旧小田原藩士で、国学者、歌人として知られた吉岡信之(のぶゆき)とその子信徳(のぶのり)の手になる文書を中心に構成される。
吉岡家は、寛永(かんえい)19年(1642)以来、代々大久保(おおくぼ)氏の家臣であった。信之は、江戸の千葉葛野(ちばかどの)について国学和歌(こくがくわか)を学び、若くして藩校諸稽古所(はんこうしょけいこしょ)(集成館(しゅうせいかん))の小幹事(しょうかんじ)となり、国学和歌を通じて藩士の子弟教育に献身した。また、水善舎(すいぜんしゃ)という家塾を開き、武士だけでなく、町人にも国学和歌を教え、小田原の文化の一翼を担った。
本文書には、寛永以来の吉岡家の公的記録として整理された「吉岡由緒書(ゆいしょがき)」が揃っている。これには、340石取りの吉岡家を中心とした藩士に支給された実際の禄米高(ろくまいだか)や信之の父信基(のぶもと)が大坂で藩の借財交渉を行った様子なども記されており藩財政と藩士の家政の裏面まで知ることができる。また、文久(ぶんきゅう)2年(1862)の「屋敷見取図(やしきみとりず)」や信之、信徳、信一(のぶかず)と三代の克明な「日誌」からは、「矮宅紀事(わいたくきじ)」(公益財団法人雨岳(うがく)文庫所管「山口家文書」)に続く明治2年(1869)からの彼らの私生活や文人としての交流などがうかがえる。
本文書は、幕末から明治初期に活躍した文化人の吉岡信之の事跡を知る上で、極めて貴重である。
文化財指定:市指定
文化財指定(年月日):平成4年11月2日
種別:古文書
個数:85点
形状等:近世文書 21点 近代文書 64点
吉岡家文書は、幕末から明治初期にかけて活躍した旧小田原藩士で、国学者、歌人として知られた吉岡信之(のぶゆき)とその子信徳(のぶのり)の手になる文書を中心に構成される。
吉岡家は、寛永(かんえい)19年(1642)以来、代々大久保(おおくぼ)氏の家臣であった。信之は、江戸の千葉葛野(ちばかどの)について国学和歌(こくがくわか)を学び、若くして藩校諸稽古所(はんこうしょけいこしょ)(集成館(しゅうせいかん))の小幹事(しょうかんじ)となり、国学和歌を通じて藩士の子弟教育に献身した。また、水善舎(すいぜんしゃ)という家塾を開き、武士だけでなく、町人にも国学和歌を教え、小田原の文化の一翼を担った。
本文書には、寛永以来の吉岡家の公的記録として整理された「吉岡由緒書(ゆいしょがき)」が揃っている。これには、340石取りの吉岡家を中心とした藩士に支給された実際の禄米高(ろくまいだか)や信之の父信基(のぶもと)が大坂で藩の借財交渉を行った様子なども記されており藩財政と藩士の家政の裏面まで知ることができる。また、文久(ぶんきゅう)2年(1862)の「屋敷見取図(やしきみとりず)」や信之、信徳、信一(のぶかず)と三代の克明な「日誌」からは、「矮宅紀事(わいたくきじ)」(公益財団法人雨岳(うがく)文庫所管「山口家文書」)に続く明治2年(1869)からの彼らの私生活や文人としての交流などがうかがえる。
本文書は、幕末から明治初期に活躍した文化人の吉岡信之の事跡を知る上で、極めて貴重である。
- 住所
- 神奈川県小田原市南鴨宮1-5-30小田原市立中央図書館
- カテゴリ
- 古文書・歴史資料/文化財指定・登録あり/近世/近現代
