蓮華寺文書(れんげじもんじょ)
古文書・歴史資料/文化財指定・登録あり/近世
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文化財指定:市指定
文化財指定(年月日):平成10年8月1日
種別:古文書
個数:196点
形状等:近世文書
千葉山(せんようざん)蓮華寺は江戸時代、下総国中山法華経寺(しもうさのくになかやまほけきょうじ)(千葉県市川市(いちかわし))末寺(まつじ)で、相模国(さがみのくに)の日蓮(にちれん)宗寺院の触頭(ふれがしら)を務めた格の高い寺であった。
本文書は、市内の近世寺院文書として最もまとまったものである。板橋(いたばし)の妙福寺(みょうふくじ)(現在は合寺し御塔生福寺(おとうしょうふくじ))、東町(ひがしちょう)の弘経寺(ぐぎょうじ)など宗門の触下寺院(ふれしたじいん)に関わる触書・願書が多数ある。また、将軍家光(いえみつ)から家茂(いえもち)まで歴代将軍の寺領朱印状(じりょうしゅいんじょう)の写しや、日蓮宗を信仰していた藩主大久保(おおくぼ)氏による寺領安堵状(あんどじょう)、足柄平野(あしがらへいや)開発の基盤を築いた二代藩主大久保忠隣(ただちか)関連の文書や、文禄(ぶんろく)2年(1593)以来の酒匂川(さかわがわ)の治水(ちすい)や雨乞(あまご)い祈願関係の文書は極めて重要である。
また、松平十郎左衛門忠勝(まつだいらじゅうろうざえもんただかつ)関係の文書もある。忠勝は、徳川家康(とくがわいえやす)の小姓(こしょう)で、忠隣の伯母の聟(むこ)という縁から、江戸より小田原城下に移り、旧東大友(ひがしおおども)村に居住した。この頃蓮華寺は東大友村にあった。蓮華寺には大久保忠勝(ただかつ)の墓所(自然石)と伝わる墓がある。
文化財指定:市指定
文化財指定(年月日):平成10年8月1日
種別:古文書
個数:196点
形状等:近世文書
千葉山(せんようざん)蓮華寺は江戸時代、下総国中山法華経寺(しもうさのくになかやまほけきょうじ)(千葉県市川市(いちかわし))末寺(まつじ)で、相模国(さがみのくに)の日蓮(にちれん)宗寺院の触頭(ふれがしら)を務めた格の高い寺であった。
本文書は、市内の近世寺院文書として最もまとまったものである。板橋(いたばし)の妙福寺(みょうふくじ)(現在は合寺し御塔生福寺(おとうしょうふくじ))、東町(ひがしちょう)の弘経寺(ぐぎょうじ)など宗門の触下寺院(ふれしたじいん)に関わる触書・願書が多数ある。また、将軍家光(いえみつ)から家茂(いえもち)まで歴代将軍の寺領朱印状(じりょうしゅいんじょう)の写しや、日蓮宗を信仰していた藩主大久保(おおくぼ)氏による寺領安堵状(あんどじょう)、足柄平野(あしがらへいや)開発の基盤を築いた二代藩主大久保忠隣(ただちか)関連の文書や、文禄(ぶんろく)2年(1593)以来の酒匂川(さかわがわ)の治水(ちすい)や雨乞(あまご)い祈願関係の文書は極めて重要である。
また、松平十郎左衛門忠勝(まつだいらじゅうろうざえもんただかつ)関係の文書もある。忠勝は、徳川家康(とくがわいえやす)の小姓(こしょう)で、忠隣の伯母の聟(むこ)という縁から、江戸より小田原城下に移り、旧東大友(ひがしおおども)村に居住した。この頃蓮華寺は東大友村にあった。蓮華寺には大久保忠勝(ただかつ)の墓所(自然石)と伝わる墓がある。
- 住所
- 神奈川県小田原市千代851-1 蓮華寺
- カテゴリ
- 古文書・歴史資料/文化財指定・登録あり/近世
