facebook X instagram Line

小田原城絵図 加藤図(おだわらじょうえず かとうず)

古文書・歴史資料/文化財指定・登録あり/近世
公開については図書館にお問い合わせください。
文化財指定:市指定
文化財指定(年月日):昭和56年3月30日
種別:歴史資料
個数:1点
形状等:紙本著彩(しほんちゃくさい)5色 
縦 181.7㎝ 
横 233.0㎝ 
上下6折 
左右12折
 この絵図は、小田原城下図のうち大型のもの3点の一つである。
 図の左下に、これは稲葉(いなば)家が拝領(はいりょう)する以前の絵図で、北条(ほうじょう)家の時の曲輪取(くるわど)りが描かれた、大久保相模守(おおくぼさがみのかみ)時分(じぶん)の絵図であろう、寛永(かんえい)九壬申年(じんしんねん)(1632)に稲葉正勝(まさかつ)が小田原を拝領した時受け取った絵図である、といった意味のことが書かれ、稲葉氏が城主の時代には存在したことが分かる。
 図は、曲輪を土塁(どるい)と堀で描くが、天守台(てんしゅだい)と南(みなみ)曲輪(現在、郷土文化館のある場所)のみに石垣を描くほか、大手口(おおてぐち)を東海道に面した南側に配し、東側の虎口(こぐち)に半月状の丸馬出(まるうまだし)を描くなど、他の小田原城図にはない特徴が認められる。
 本図は、小田原城が近世城郭(きんせいじょうかく)として整備に着手される寛永9年(1632)の稲葉氏入封(にゅうほう)以前で、かつ慶長(けいちょう)19年(1614)の大久保氏改易(かいえき)による小田原城の大破却(だいはきゃく)を受けて以降の姿が描かれたものと考えられている。
 大久保氏の重臣加藤家に伝来し、同じ重臣の岩瀬(いわせ)家が譲り受けたものと言われてきたが、現在は岩瀬家に伝わったものであることが判明している。

小田原城絵図(おだわらじょうえず)について
 現在伝わっている小田原城を描いた絵図は、小田原城が築かれたとされる大森(おおもり)氏の時期から戦国時代の北条(ほうじょう)氏の時期までは存在せず、すべて江戸時代以降のものであるが、江戸時代の小田原城の移り変わりが分かり大変貴重なものである。このため、市内に所在する城絵図のうち代表的なもの11点を指定している。
 城絵図は、総構(そうがまえ)以内の城下町まで描いた絵図(城下町図)と三の丸以内を描いた絵図(城内図)に分けられる。
 近世城郭(きんせいじょうかく)の姿を最初に伝える「正保図(しょうほうず)」と、城下の屋敷割(やしきわ)りを平面的に描いた「松原図(まつばらず)」系の二つの城下町図が稲葉(いなば)氏の時代に描かれた。その後、これらの特徴をあわせ持った「貞享図(じょうきょうず)」系の城下町図も描かれ、改修を経て近世城郭として完成した小田原城の姿を表現している。
 後期大久保(おおくぼ)氏時代には、「貞享図」系の城下町図の藩士名などを改めた「元禄図(げんろくず)」系の城下町図が描かれ、この城下町図は、その後多くの派生図(はせいず)を生むことになる。特に、災害による修築のため、これをもとに城内部分だけを描いた「享保図(きょうほうず)」系の城内図や、江戸中期以降、藩士が個人的に所蔵するために写した絵図など、多くの絵図が伝わっている。
 幕末になると、これらの城下町図・城内図は、細密に描写された大型の城下町図である「文久図(ぶんきゅうず)」として集大成される。
住所
神奈川県小田原市南鴨宮1-5-30小田原市立中央図書館
カテゴリ
古文書・歴史資料/文化財指定・登録あり/近世
TOP