facebook X instagram Line

小田原城絵図 弘化図(おだわらじょうえず こうかず)

古文書・歴史資料/文化財指定・登録あり/近世
通常一般公開していません。公開については小田原城総合管理事務所にお問い合わせください。
文化財指定:市指定
文化財指定(年月日):昭和56年3月30日
種別:歴史資料
個数:1幅
形状等:紙本著彩(しほんちゃくさい)7色 
縦 55.0㎝ 
横 55.0㎝ 
軸装(じくそう)
 この絵図は、「享保図(きょうほうず)」と城の表現が類似しているが、「享保図」は城の修復願いの図であり、それとは制作の目的が異なっている。また、形や記入内容についても、天守(てんしゅ)裏手の曲輪(くるわ)が省略される一方、三の丸の侍屋敷(さむらいやしき)に氏名や禄高(ろくだか)が記入されているなど、細かな点で違いがある。
 また、本図の左下には、弘化二年(1845)乙巳(きのとみ)五月、或家従(あるいえよ)り借りて写す、猥(みだり)に他見を許さず、などと書かれている。
 これらのことから、本図は所持用として「享保図」系のほかの絵図を模写したものと考えられている。
 なおこの図は、小田原藩主大久保(おおくぼ)家のお抱え大工の子孫が、昭和35年(1960)に復興された天守閣の完成記念として市に寄贈したものである。

小田原城絵図(おだわらじょうえず)について
 現在伝わっている小田原城を描いた絵図は、小田原城が築かれたとされる大森(おおもり)氏の時期から戦国時代の北条(ほうじょう)氏の時期までは存在せず、すべて江戸時代以降のものであるが、江戸時代の小田原城の移り変わりが分かり大変貴重なものである。このため、市内に所在する城絵図のうち代表的なもの11点を指定している。
 城絵図は、総構(そうがまえ)以内の城下町まで描いた絵図(城下町図)と三の丸以内を描いた絵図(城内図)に分けられる。
 近世城郭(きんせいじょうかく)の姿を最初に伝える「正保図(しょうほうず)」と、城下の屋敷割りを平面的に描いた「松原図(まつばらず)」系の二つの城下町図が稲葉(いなば)氏の時代に描かれた。その後、これらの特徴をあわせ持った「貞享図(じょうきょうず)」系の城下町図も描かれ、改修を経て近世城郭として完成した小田原城の姿を表現している。
 後期大久保(おおくぼ)氏時代には、「貞享図」系の城下町図の藩士名などを改めた「元禄図(げんろくず)」系の城下町図が描かれ、この城下町図は、その後多くの派生図(はせいず)を生むことになる。特に、災害による修築のため、これをもとに城内部分だけを描いた「享保図(きょうほうず)」系の城内図や、江戸中期以降、藩士が個人的に所蔵するために写した絵図など、多くの絵図が伝わっている。
 幕末になると、これらの城下町図・城内図は、細密に描写された大型の城下町図である「文久図(ぶんきゅうず)」として集大成される。
住所
神奈川県小田原市城内6-1小田原城天守閣
カテゴリ
古文書・歴史資料/文化財指定・登録あり/近世
TOP