長興山開発供養塔(ちょうこうざんかいはつくようとう)
古文書・歴史資料/文化財指定・登録あり/近世
文化財指定:市指定
文化財指定(年月日):昭和63年11月1日
種別:歴史資料
個数:1基
形状等:露盤(ろばん)・伏鉢(ふくばち)高さ 17.0㎝ 幅 23.0㎝
笠(かさ)高さ 34.0㎝ 幅 74.0㎝
塔身(とうしん) 高さ 122.0㎝ 幅 40.5㎝
基礎 高さ 33.0㎝ 幅 78.0㎝
本供養塔は、紹太寺の建立(こんりゅう)に参加した人々を供養する塔である。方柱状の塔身に笠と露盤・伏鉢・宝珠(ほうじゅ)を乗せる笠塔婆型(かさとうばがた)で、宝珠部分を欠く。露盤の側面に唐草文様(からくさもんよう)、塔身には銘文(めいぶん)が刻まれる。
土木工事に従事した石工の、相州岩(そうしゅういわ)村(現真鶴町岩(まなづるまちいわ))の住人、朝倉清兵衛(あさくらせいべえ)が建立したもので、造立(ぞうりゅう)年は記されていない。銘文には、開山(かいざん)となった鉄牛和尚(てつぎゅうおしょう)の父母を始めとする15名の関係者の法名(ほうみょう)、工事に参加した総奉行(そうぶぎょう)・下奉行(したぶぎょう)ら8名の役人、工事に労役(ろうえき)した43名の僧侶ら、関係者の人名が記されている。
塔の基礎は、上部を蓮弁(れんべん)が刻まれない繰形座(くりがたざ)とし、側面は中央に三鱗文(みつうろこもん)、その左右に縦縞(たてじま)の格子(こうし)を刻む。なおこの基礎は、以前入生田にあった近衛文麿(このえふみまろ)(1891~1945)の別荘内のものを補修に再利用したとの地元古老の伝承がある。
長興山紹太寺は、小田原藩主稲葉正則(いなばまさのり)が父母の追福(ついふく)のために建立し、寛文(かんぶん)9年(1669)に旧入生田村に移されたが、本供養塔は長興山開発が大工事だったことを伝えるものである。
文化財指定(年月日):昭和63年11月1日
種別:歴史資料
個数:1基
形状等:露盤(ろばん)・伏鉢(ふくばち)高さ 17.0㎝ 幅 23.0㎝
笠(かさ)高さ 34.0㎝ 幅 74.0㎝
塔身(とうしん) 高さ 122.0㎝ 幅 40.5㎝
基礎 高さ 33.0㎝ 幅 78.0㎝
本供養塔は、紹太寺の建立(こんりゅう)に参加した人々を供養する塔である。方柱状の塔身に笠と露盤・伏鉢・宝珠(ほうじゅ)を乗せる笠塔婆型(かさとうばがた)で、宝珠部分を欠く。露盤の側面に唐草文様(からくさもんよう)、塔身には銘文(めいぶん)が刻まれる。
土木工事に従事した石工の、相州岩(そうしゅういわ)村(現真鶴町岩(まなづるまちいわ))の住人、朝倉清兵衛(あさくらせいべえ)が建立したもので、造立(ぞうりゅう)年は記されていない。銘文には、開山(かいざん)となった鉄牛和尚(てつぎゅうおしょう)の父母を始めとする15名の関係者の法名(ほうみょう)、工事に参加した総奉行(そうぶぎょう)・下奉行(したぶぎょう)ら8名の役人、工事に労役(ろうえき)した43名の僧侶ら、関係者の人名が記されている。
塔の基礎は、上部を蓮弁(れんべん)が刻まれない繰形座(くりがたざ)とし、側面は中央に三鱗文(みつうろこもん)、その左右に縦縞(たてじま)の格子(こうし)を刻む。なおこの基礎は、以前入生田にあった近衛文麿(このえふみまろ)(1891~1945)の別荘内のものを補修に再利用したとの地元古老の伝承がある。
長興山紹太寺は、小田原藩主稲葉正則(いなばまさのり)が父母の追福(ついふく)のために建立し、寛文(かんぶん)9年(1669)に旧入生田村に移されたが、本供養塔は長興山開発が大工事だったことを伝えるものである。
- 住所
- 神奈川県小田原市入生田 303紹太寺
- カテゴリ
- 古文書・歴史資料/文化財指定・登録あり/近世
