宗福院地蔵堂(そうふくいんじぞうどう)
建造物/文化財指定・登録あり/近世
文化財指定:県指定
文化財指定(年月日):平成8年2月13日
種別:建造物
個数:1棟
形状等:木造
方三間裳階付仏殿(ほうさんげんもこしつきぶつでん)
入母屋造瓦葺(いりもやづくりかわらぶき)
桁行(けたゆき) 48.09尺(14.57m)
梁間(はりま) 34.49尺(10.45m)
宗福院は、慶長(けいちょう)3年(1598)に地蔵堂の地に創建(そうけん)されたと伝わる寺院で、現在の地蔵堂は明治8年(1875)2月に村内の出火で焼失した建物の跡に、同年7月入谷津(いりやつ)(現城山(しろやま)二丁目)の黄檗(おうばく)宗慈眼寺(じげんじ)仏殿を移築したものである。
慈眼寺は、小田原藩主大久保忠増(おおくぼただます)が、元禄(げんろく)16年(1703)の大地震による死者を追福(ついふく)するため正徳(しょうとく)元年(1711)に黄檗宗宇治萬福寺(うじまんぷくじ)(京都府宇治市)の末寺として創建し、同5年(1715)に堂宇(どうう)を建立(こんりゅう)した。宗福院地蔵堂は、様式からみてこの時建てられた旧慈眼寺仏殿と考えられている。
地蔵堂は、三間四方(さんげんしほう)の主屋(おもや)の四周に、軒下の壁から庇(ひさし)のように出た裳階をめぐらす構成で、外観は二重屋根である。前面の裳階を柱に壁や扉が伴わない吹放(ふきはな)しの土間とし、正面中央の柱間(はしらま)を著しく大きくするのは黄檗宗仏殿の特徴である。主屋・裳階とも、柱上に桁を直接受ける舟肘木(ふなひじき)を置き、軒を出梁(だしばり)による出桁造(だしげたづく)りとする構造は独特のものである。県下唯一の江戸時代中期黄檗宗仏殿として、その意匠や構造面での多様性の一端を示している。
文化財指定(年月日):平成8年2月13日
種別:建造物
個数:1棟
形状等:木造
方三間裳階付仏殿(ほうさんげんもこしつきぶつでん)
入母屋造瓦葺(いりもやづくりかわらぶき)
桁行(けたゆき) 48.09尺(14.57m)
梁間(はりま) 34.49尺(10.45m)
宗福院は、慶長(けいちょう)3年(1598)に地蔵堂の地に創建(そうけん)されたと伝わる寺院で、現在の地蔵堂は明治8年(1875)2月に村内の出火で焼失した建物の跡に、同年7月入谷津(いりやつ)(現城山(しろやま)二丁目)の黄檗(おうばく)宗慈眼寺(じげんじ)仏殿を移築したものである。
慈眼寺は、小田原藩主大久保忠増(おおくぼただます)が、元禄(げんろく)16年(1703)の大地震による死者を追福(ついふく)するため正徳(しょうとく)元年(1711)に黄檗宗宇治萬福寺(うじまんぷくじ)(京都府宇治市)の末寺として創建し、同5年(1715)に堂宇(どうう)を建立(こんりゅう)した。宗福院地蔵堂は、様式からみてこの時建てられた旧慈眼寺仏殿と考えられている。
地蔵堂は、三間四方(さんげんしほう)の主屋(おもや)の四周に、軒下の壁から庇(ひさし)のように出た裳階をめぐらす構成で、外観は二重屋根である。前面の裳階を柱に壁や扉が伴わない吹放(ふきはな)しの土間とし、正面中央の柱間(はしらま)を著しく大きくするのは黄檗宗仏殿の特徴である。主屋・裳階とも、柱上に桁を直接受ける舟肘木(ふなひじき)を置き、軒を出梁(だしばり)による出桁造(だしげたづく)りとする構造は独特のものである。県下唯一の江戸時代中期黄檗宗仏殿として、その意匠や構造面での多様性の一端を示している。
- 住所
- 神奈川県小田原市板橋566宗福院
- カテゴリ
- 建造物/文化財指定・登録あり/近世
