正恩寺の鐘楼門(しょうおんじのしょうろうもん)
建造物/文化財指定・登録あり/近世
文化財指定:市指定
文化財指定(年月日):平成4年11月2日
種別:建造物
個数:1棟
形状等:木造 一間楼門(いっけんろうもん)
入母屋造(いりもやづくり)
瓦葺(かわらぶき)
桁行(けたゆき) 2.74m
梁間(はりま) 2.34m
桁高(けただか) 4.70m
正恩寺は、浄土真(じょうどしん)宗大谷派東本願寺(おおたにはひがしほんがんじ)の末寺(まつじ)である。大久保忠世(おおくぼただよ)が遠江国二俣(とおとうみのくにふたまた)(現静岡県浜松市天竜区二俣町(はままつしてんりゅうくふたまたちょう))城主だった時、忠世の長子忠隣(ただちか)の妻、妙賢院(みょうけんいん)が三河国額田郡土呂(みかわのくにぬかたぐんとろ)(現愛知県岡崎市福岡町(おかざきしふくおかちょう))にあった同寺の住職信賢(しんけん)に帰依(きえ)していたため、忠世が小田原城主となった後、文禄(ぶんろく)2年(1593)に当地に移し、妙賢院を中興開基(ちゅうこうかいき)とした。
門は、23.03㎝、高さ4.55mの欅材(けやきざい)の通柱(とおしばしら)4本でつくられ、柱は上層に行くに従い内側に傾き、全体に貫(ぬき)とほぞにより組み立てられている。正面に掲げられた山号(さんごう)「法性山(ほっしょうざん)」を記した扁額(へんがく)の裏に、「寛政(かんせい)五年」(1793)「大工 牧岡藤左衛門(まきおかとうざえもん)西田平七(にしだへいしち) 松野作右衛門(まつのさくえもん)」とあり、同年に3人の小田原の大工が建てたことが分かる。なお、かつては門の上層に、寛延(かんえん)3年(1750)鋳造(ちゅうぞう)の梵鐘(ぼんしょう)(直径69.70㎝、高さ106.06㎝)があった。
屋根と下層正面の門扉(もんぴ)は後年の改修が見られるが、全体は当初の姿がよく残り、鐘楼門としては関東地方南部で希少なものである。
文化財指定(年月日):平成4年11月2日
種別:建造物
個数:1棟
形状等:木造 一間楼門(いっけんろうもん)
入母屋造(いりもやづくり)
瓦葺(かわらぶき)
桁行(けたゆき) 2.74m
梁間(はりま) 2.34m
桁高(けただか) 4.70m
正恩寺は、浄土真(じょうどしん)宗大谷派東本願寺(おおたにはひがしほんがんじ)の末寺(まつじ)である。大久保忠世(おおくぼただよ)が遠江国二俣(とおとうみのくにふたまた)(現静岡県浜松市天竜区二俣町(はままつしてんりゅうくふたまたちょう))城主だった時、忠世の長子忠隣(ただちか)の妻、妙賢院(みょうけんいん)が三河国額田郡土呂(みかわのくにぬかたぐんとろ)(現愛知県岡崎市福岡町(おかざきしふくおかちょう))にあった同寺の住職信賢(しんけん)に帰依(きえ)していたため、忠世が小田原城主となった後、文禄(ぶんろく)2年(1593)に当地に移し、妙賢院を中興開基(ちゅうこうかいき)とした。
門は、23.03㎝、高さ4.55mの欅材(けやきざい)の通柱(とおしばしら)4本でつくられ、柱は上層に行くに従い内側に傾き、全体に貫(ぬき)とほぞにより組み立てられている。正面に掲げられた山号(さんごう)「法性山(ほっしょうざん)」を記した扁額(へんがく)の裏に、「寛政(かんせい)五年」(1793)「大工 牧岡藤左衛門(まきおかとうざえもん)西田平七(にしだへいしち) 松野作右衛門(まつのさくえもん)」とあり、同年に3人の小田原の大工が建てたことが分かる。なお、かつては門の上層に、寛延(かんえん)3年(1750)鋳造(ちゅうぞう)の梵鐘(ぼんしょう)(直径69.70㎝、高さ106.06㎝)があった。
屋根と下層正面の門扉(もんぴ)は後年の改修が見られるが、全体は当初の姿がよく残り、鐘楼門としては関東地方南部で希少なものである。
- 住所
- 神奈川県小田原市本町4-5-7 正恩寺
- カテゴリ
- 建造物/文化財指定・登録あり/近世
