徳川家康陣地跡の碑(とくがわいえやすじんちあとのひ)
建造物/文化財指定・登録あり/近世
文化財指定:市指定
文化財指定(年月日):昭和36年3月30日
種別:建造物
個数:1基
形状等:碑の総高 335.0㎝
碑石の高さ 222.0㎝
幅 130.0㎝
厚さ 28.0㎝
この記念碑は、幕府老中(ばくふろうじゅう)も務めた小田原藩主大久保忠真(おおくぼただざね)(1781~1837)により建てられたものである。天正18年(1590)の小田原合戦(おだわらかっせん)の際に徳川家康(とくがわいえやす)が布陣(ふじん)した場所に、天保(てんぽう)7年(1836)9月17日に造立(ぞうりゅう)された。碑文は大久保忠真の作で、藩の儒学者(じゅがくしゃ)で書家(しょか)でもあった岡田左太夫光雄(おかださだゆうみつたけ)の揮毫(きごう)である。
碑石は根府川石(ねぶかわいし)(安山岩(あんざんがん))製で、長方形の平らな基壇(きだん)と基礎石(きそいし)を2段に設け、その上に設置されている。「神祖大君営趾之碑(しんそたいくんえいしのひ)」と題し、その下に碑文が刻まれている。
碑文には、小田原合戦に際し徳川家康が豊臣方(とよとみがた)の先鋒(せんぽう)として軍勢(ぐんぜい)を率いて箱根山(はこねやま)を越えたこと、小田原城の東方今井(いまい)村(現寿町四丁目ほか)の柳川和泉守泰久(やながわいずみのかみやすひさ)の宅地に布陣(ふじん)し、周囲に土塁(どるい)を巡(めぐ)らした陣場(じんば)を築いたこと、忠真の先祖である大久保忠世(ただよ)・忠隣(ただちか)父子が参陣(さんじん)したこと、忠真の時代の陣場の様子などが記されている。
文化財指定(年月日):昭和36年3月30日
種別:建造物
個数:1基
形状等:碑の総高 335.0㎝
碑石の高さ 222.0㎝
幅 130.0㎝
厚さ 28.0㎝
この記念碑は、幕府老中(ばくふろうじゅう)も務めた小田原藩主大久保忠真(おおくぼただざね)(1781~1837)により建てられたものである。天正18年(1590)の小田原合戦(おだわらかっせん)の際に徳川家康(とくがわいえやす)が布陣(ふじん)した場所に、天保(てんぽう)7年(1836)9月17日に造立(ぞうりゅう)された。碑文は大久保忠真の作で、藩の儒学者(じゅがくしゃ)で書家(しょか)でもあった岡田左太夫光雄(おかださだゆうみつたけ)の揮毫(きごう)である。
碑石は根府川石(ねぶかわいし)(安山岩(あんざんがん))製で、長方形の平らな基壇(きだん)と基礎石(きそいし)を2段に設け、その上に設置されている。「神祖大君営趾之碑(しんそたいくんえいしのひ)」と題し、その下に碑文が刻まれている。
碑文には、小田原合戦に際し徳川家康が豊臣方(とよとみがた)の先鋒(せんぽう)として軍勢(ぐんぜい)を率いて箱根山(はこねやま)を越えたこと、小田原城の東方今井(いまい)村(現寿町四丁目ほか)の柳川和泉守泰久(やながわいずみのかみやすひさ)の宅地に布陣(ふじん)し、周囲に土塁(どるい)を巡(めぐ)らした陣場(じんば)を築いたこと、忠真の先祖である大久保忠世(ただよ)・忠隣(ただちか)父子が参陣(さんじん)したこと、忠真の時代の陣場の様子などが記されている。
- 住所
- 神奈川県小田原市寿町4-14-15
- カテゴリ
- 建造物/文化財指定・登録あり/近世
