小嶋家の宝篋印塔・宝塔(こじまけのほうきょういんとう・ほうとう)
建造物/文化財指定・登録あり/中世
文化財指定:市指定
文化財指定(年月日):昭和45年12月15日ほか
種別:建造物
個数:3基
形状等: この3基の石塔は、浄土宗の光明山無量院(こうみょうさんむりょういん)大見寺の墓地にあり、酒匂の旧家小嶋家の祖先を祀(まつ)るものとして古くから知られている。
小嶋家は、鎌倉時代から家名が認められ、北条(ほうじょう)時代には酒匂郷の小代官を務め、江戸時代に入っても組頭役(くみがしらやく)などを務めている。
3基の石塔は市内にある個人墓としては最も古く、その系譜が確認できるものとしても貴重な資料である。
指定名称:小嶋家の宝篋印塔・五輪塔
徳治(とくじ)三年(1308)銘宝篋印塔
高さは現高145.0㎝で、塔身(とうしん)正面に「徳治三年戊申六月廾三日 沙弥性阿」、側面に「右者為左衛門 入道也 比丘 尼満阿」と刻まれている。
銘文からは、これは徳治3年6月に没した小嶋家の祖先左衛門入道(さえもんにゅうどう)の墓で、満阿(まんあ)(恐らく未亡人)・性阿(しょうあ)(恐らく息子)の両人によって建てられたものであることがわかる。「阿」号は出家した人の号であり、一家が深く仏門に帰依(きえ)していたことが推察される。
「徳治三年」は市内に残る石塔の中で最も古い年号であるが、塔身に銘文(めいぶん)を刻む事例は珍しい。そのため、後に刻まれた可能性もあるが、形態的には14世紀初頭の特徴を持つ宝篋印塔であり、市内最古の宝篋印塔として評価されている。
天文(てんぶん)二一年(1552)銘宝篋印塔
高さ170.0㎝で、基礎の周囲に「相刕足下郡於酒勾郷 為小嶋行西也 天文廿一壬子年四月日孝子敬白」と刻まれている。
この宝篋印塔は、銘文からは小嶋家中興(ちゅうこう)の祖小嶋行西(ゆきにし)の墓とみられ、孝子とは行西の息子である左衛門太郎正吉(さえもんたろうまさよし)のことを指すと思われる。
しかし、基礎に刻まれた銘文の書き方は不自然であり、銘文は後世に刻まれた可能性が高い。
天正(てんしょう)二年(1574)銘の宝塔
従来は五輪塔(ごりんとう)と言われたが、高さ210.0㎝、基礎の区内に「相刕西郡酒匂郷 小嶋治部少輔敬白 天正二甲戌年八月廾二日」と刻まれた宝塔である。
この宝塔は、銘文によると小嶋治部少輔(じぶしょうゆう)が建立したものとされる。『新編相模国風土記稿(しんぺんさがみのくにふどきこう)』によると、治部少輔は左衛門太郎正吉の子息とあることから、この宝塔は左衛門太郎正吉の供養塔(くようとう)の可能性がある。
なお、『新編相模国風土記稿』には、銘文についての記載はないものの、徳治三年銘宝篋印塔と天文二一年銘宝篋印塔については記述されている。しかし、天正二年銘宝塔に関する記載はない。
文化財指定(年月日):昭和45年12月15日ほか
種別:建造物
個数:3基
形状等: この3基の石塔は、浄土宗の光明山無量院(こうみょうさんむりょういん)大見寺の墓地にあり、酒匂の旧家小嶋家の祖先を祀(まつ)るものとして古くから知られている。
小嶋家は、鎌倉時代から家名が認められ、北条(ほうじょう)時代には酒匂郷の小代官を務め、江戸時代に入っても組頭役(くみがしらやく)などを務めている。
3基の石塔は市内にある個人墓としては最も古く、その系譜が確認できるものとしても貴重な資料である。
指定名称:小嶋家の宝篋印塔・五輪塔
徳治(とくじ)三年(1308)銘宝篋印塔
高さは現高145.0㎝で、塔身(とうしん)正面に「徳治三年戊申六月廾三日 沙弥性阿」、側面に「右者為左衛門 入道也 比丘 尼満阿」と刻まれている。
銘文からは、これは徳治3年6月に没した小嶋家の祖先左衛門入道(さえもんにゅうどう)の墓で、満阿(まんあ)(恐らく未亡人)・性阿(しょうあ)(恐らく息子)の両人によって建てられたものであることがわかる。「阿」号は出家した人の号であり、一家が深く仏門に帰依(きえ)していたことが推察される。
「徳治三年」は市内に残る石塔の中で最も古い年号であるが、塔身に銘文(めいぶん)を刻む事例は珍しい。そのため、後に刻まれた可能性もあるが、形態的には14世紀初頭の特徴を持つ宝篋印塔であり、市内最古の宝篋印塔として評価されている。
天文(てんぶん)二一年(1552)銘宝篋印塔
高さ170.0㎝で、基礎の周囲に「相刕足下郡於酒勾郷 為小嶋行西也 天文廿一壬子年四月日孝子敬白」と刻まれている。
この宝篋印塔は、銘文からは小嶋家中興(ちゅうこう)の祖小嶋行西(ゆきにし)の墓とみられ、孝子とは行西の息子である左衛門太郎正吉(さえもんたろうまさよし)のことを指すと思われる。
しかし、基礎に刻まれた銘文の書き方は不自然であり、銘文は後世に刻まれた可能性が高い。
天正(てんしょう)二年(1574)銘の宝塔
従来は五輪塔(ごりんとう)と言われたが、高さ210.0㎝、基礎の区内に「相刕西郡酒匂郷 小嶋治部少輔敬白 天正二甲戌年八月廾二日」と刻まれた宝塔である。
この宝塔は、銘文によると小嶋治部少輔(じぶしょうゆう)が建立したものとされる。『新編相模国風土記稿(しんぺんさがみのくにふどきこう)』によると、治部少輔は左衛門太郎正吉の子息とあることから、この宝塔は左衛門太郎正吉の供養塔(くようとう)の可能性がある。
なお、『新編相模国風土記稿』には、銘文についての記載はないものの、徳治三年銘宝篋印塔と天文二一年銘宝篋印塔については記述されている。しかし、天正二年銘宝塔に関する記載はない。
- 住所
- 神奈川県小田原市酒匂2-41-37大見寺
- カテゴリ
- 建造物/文化財指定・登録あり/中世


