玉寳寺の五百羅漢像(ぎょくほうじのごひゃくらかんぞう)
民俗文化財/文化財指定・登録あり/近世
文化財指定:市指定
文化財指定(年月日):昭和53年3月4日
種別:有形民俗文化財
個数:526基
形状等:五百羅漢
木像
立像 30.0㎝~60.0㎝
坐像 24.0㎝
五百羅漢像は、仏陀(ぶっだ)の入滅後経典編纂(にゅうめつごきょうてんへんさん)に集まった羅漢500人への信仰から生じたものである。玉寳寺には、像高24.0㎝から60.0㎝の羅漢像500体余りが本堂内に並ぶ。
享保(きょうほう)15年(1730)に、旧多古(たこ)村(現小田原市多古、扇町二~六丁目の一部)の出家者、智鉄(ちてつ)が信者から寄進(きしん)を求め、7年間に170体が造立(ぞうりゅう)された。智鉄の病没後は弟の真澄(しんちょう)がその遺志を継ぎ、28年間の歳月をかけ宝暦(ほうれき)7年(1757)に五百羅漢像を完成させた。その後、嘉永(かえい)、安政(あんせい)の大地震で像が損壊したため、万延(まんえん)年間(1860~1861)に修理が行われている。
天桂山(てんけいざん)玉寳寺は、曹洞(そうとう)宗香雲寺(こううんじ)(秦野市(はだのし))の末寺で、天文3年(1534)北条氏の家臣垪和伊予守(はがいよのかみ)の建立によるもので、開山は香雲寺四世実堂宗梅和尚(じつどうそうばいおしょう)である。
なお、平成9年度からの五百羅漢像の修復事業で像を解体したところ、中に多数の胎内文書(たいないもんじょ)が納められていたことが明らかになった。
五百羅漢像が揃うことは、神奈川県内でも珍しく、貴重である。
文化財指定(年月日):昭和53年3月4日
種別:有形民俗文化財
個数:526基
形状等:五百羅漢
木像
立像 30.0㎝~60.0㎝
坐像 24.0㎝
五百羅漢像は、仏陀(ぶっだ)の入滅後経典編纂(にゅうめつごきょうてんへんさん)に集まった羅漢500人への信仰から生じたものである。玉寳寺には、像高24.0㎝から60.0㎝の羅漢像500体余りが本堂内に並ぶ。
享保(きょうほう)15年(1730)に、旧多古(たこ)村(現小田原市多古、扇町二~六丁目の一部)の出家者、智鉄(ちてつ)が信者から寄進(きしん)を求め、7年間に170体が造立(ぞうりゅう)された。智鉄の病没後は弟の真澄(しんちょう)がその遺志を継ぎ、28年間の歳月をかけ宝暦(ほうれき)7年(1757)に五百羅漢像を完成させた。その後、嘉永(かえい)、安政(あんせい)の大地震で像が損壊したため、万延(まんえん)年間(1860~1861)に修理が行われている。
天桂山(てんけいざん)玉寳寺は、曹洞(そうとう)宗香雲寺(こううんじ)(秦野市(はだのし))の末寺で、天文3年(1534)北条氏の家臣垪和伊予守(はがいよのかみ)の建立によるもので、開山は香雲寺四世実堂宗梅和尚(じつどうそうばいおしょう)である。
なお、平成9年度からの五百羅漢像の修復事業で像を解体したところ、中に多数の胎内文書(たいないもんじょ)が納められていたことが明らかになった。
五百羅漢像が揃うことは、神奈川県内でも珍しく、貴重である。
- 住所
- 神奈川県小田原市扇町5-1-28 玉寳寺
- カテゴリ
- 民俗文化財/文化財指定・登録あり/近世
