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解体前の銅門

解説

現在みられる銅門を復元する際に参考とされた写真です。右手の一の門は高麗門形式、奥の二の門は渡櫓門で、左手南側の櫓台は堀から直接石垣を立ち上げています。明治3年(1870)の売却目録に銅門は見えていないので、その後、城跡を所轄していた陸軍省が明治9年(1876)10月に旧藩主の居館や平櫓を売却するまでの間に解体されたと思われます。
撮影場所
城内
撮影年代
1873年頃

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