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ほうじょううじまさしょじょう
北条氏政書状(天正10年6月10日)

解説

 天正10年(1582)6月2日、本能寺で織田信長が明智光秀に討たれたとの急報に接した北条氏4代の氏政が、そのわずか11日後の同13日、江戸に在城していた一族の氏秀に送った書状で、織田分国の上野(群馬県)・甲斐(山梨県)への侵攻を開始したことなどを伝えています。
 天正7年頃から、氏政は上野の領有をめぐり、それまで同盟していた甲斐の武田勝頼と対立し、一進一退の攻防を繰り広げていました。そこで翌年3月、やはり勝頼と敵対していた信長に使者を送って服属を表明し、戦局打開を図ります。氏政の申し出を喜んだ信長は、天正10年3月には圧倒的な軍事力で名門武田家を滅ぼしました。ところが直後の論功行賞では、氏政の意向をよそに上野を配下の瀧川一益に与えたことから、両者の関係は急速に冷却化します。それゆえ氏政は、信長急死を機に織田家に反旗を翻すこととなりました。機敏でしたたかな戦国大名らしい氏政の一面がうかがえます。
収蔵先/所蔵者
中央図書館
種別
古文書
所在地/展示場所
〒2500875 神奈川県小田原市南鴨宮1-5-30 小田原市立中央図書館

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