はくしゅうさんそうまえでのしゅうごうしゃしん
白秋山荘前での集合写真(昭和4年1月)
解説
小田原での集合写真です。白秋は大正15年(1926)に小田原生活に終止符を打ちますが、その後、昭和4年(1929)1月に旧居整理のために小田原を訪問した際に撮影された写真です。
大正9年に白秋が建てた洋館「白秋山荘」の前で白秋一家と地元の人々が集まっています。洋館はもともと赤瓦でしたが、震災で瓦が全て落下したため、木の屋根で葺き替えられています。白秋一家は画面中央の椅子に座っており、右から、白秋、長男隆太郎、長女篁子、妻菊子です。白秋の横は、伝肇寺住職佐藤云隆、菊子の横は、白秋が小田原で最初に投宿した養生館主西村隆一です。この時に白秋から西村に譲られた自筆資料群が後に小田原市に寄贈され、現在の図書館が所蔵する北原白秋資料群の中核となっています。
また、画面左には、藁ぶきの「木兎の家」が写っています。この建物は、大正8年夏に伝肇寺東側に鈴木三重吉らの援助を受けて建設されました。「鼻のような入口の両側に、眼のような二つの青硝子入の小窓がついた正面は木兎の家そのままに見える」ことから「木兎の家」と命名したと、白秋は後に記しています。
大正9年に白秋が建てた洋館「白秋山荘」の前で白秋一家と地元の人々が集まっています。洋館はもともと赤瓦でしたが、震災で瓦が全て落下したため、木の屋根で葺き替えられています。白秋一家は画面中央の椅子に座っており、右から、白秋、長男隆太郎、長女篁子、妻菊子です。白秋の横は、伝肇寺住職佐藤云隆、菊子の横は、白秋が小田原で最初に投宿した養生館主西村隆一です。この時に白秋から西村に譲られた自筆資料群が後に小田原市に寄贈され、現在の図書館が所蔵する北原白秋資料群の中核となっています。
また、画面左には、藁ぶきの「木兎の家」が写っています。この建物は、大正8年夏に伝肇寺東側に鈴木三重吉らの援助を受けて建設されました。「鼻のような入口の両側に、眼のような二つの青硝子入の小窓がついた正面は木兎の家そのままに見える」ことから「木兎の家」と命名したと、白秋は後に記しています。
- 収蔵先/所蔵者
- 小田原市立中央図書館
- 種別
- 文学
- 所在地/展示場所
- 〒2500875 神奈川県小田原市南鴨宮1-5-30 小田原市立中央図書館